「ショックで声が出なくなった」


音楽高校へ進学するため、目に見える結果を残そうとコンクール優勝を目指したものの、音楽で「評価を得る」のは簡単なことではない、と打ちのめされる出来事も経験。

「最初のコンクールは8歳の時で、初めて出て奨励賞をいただいたので『なんだ、簡単だな』といい気になっていました。だから、次に挑戦して予選落ちしたときは、ショックのあまり帰り道に声が出なくなってしまった。当然受かるものだと思っていたから、すごく現実的に『一生懸命前に進まなければ』と反省したのを覚えています。

コンクールで勝て、と言ったのは父ですが、僕自身、負けず嫌いで、目立ちたがり屋だったので頑張れたと思うんです。ある意味、人から褒められるのが快感だった。コンクールも発表会みたいなところがあったから、自分の演奏を聴いてもらえるのが嬉しかったし、拍手や褒め言葉が欲しかったんだと思うのです。そうした子供時代の無邪気さは、今では失われてきていますが……」

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鮮烈な印象を残した、指揮台での原体験


そうした悔しさをバネにしながらも翼を広げ続けた結果、反田さんは2012年の高校在学中に「第81回日本音楽コンクール」第1位に入賞。2014年にはチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院に首席で入学し、活躍の場を世界へと広げていきます。留学中には、ロシアで「本物のバレエ」を鑑賞する機会に恵まれ、深い感銘を受けたのだとか。クラシックに魅了されたきっかけも、バレエと深いつながりがあるようです。

 

「バレエが好きなのは、チャイコフスキーが好きだからというのも大きいかもしれないです。僕、クラシックはオーケストラから入ったんです。ピアノを本格的に始める前は、とにかくオーケストラに夢中でした。11歳の時に子供のためのワークショップに参加して、そこで曽我大介先生が数回のシリーズで、指揮者はどんな仕事で、どんな練習をするのかを教えてくれた。ワークショップの後に、ニューシティフィル(東京ニューシティ管弦楽団)と、リハの時間をとってオケを振る機会をもらったのですが、一般応募で参加した子供たち全員がモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』を選ぶ中、みんなが選ばなさそうな曲を選べば、指揮をするチャンスが回ってくるかもと、チャイコフスキーの『チャルダッシュ(ハンガリーの踊り)』を選んだんです」