ミモレ読者の皆さま、こんにちは。今日は『海外で暮らす女性の生き方』4回目のインタビューです。

第1回目ニューヨークの渡会里子さん第2回目ドイツの桜さんに続き、学生時代のクラスの友達 Yumiko Lindgrenさんです。19歳で誓った大いなる夢を、自分の力で実現して来た彼女のストーリーからミモレ世代の明日へのヒントを探っていきます。

ーー今までの経歴をお聞かせください。

短大卒業後、大手住宅メーカーで6年間働いた後、26歳で渡米しました。コミュニティカレッジを卒業後、イリノイ州シカゴにあるデポール大学でグラフィックデザインを専攻し学士を取得。現在は、日系企業アメリカ法人のマーケティング部門で働いています。

ーーアメリカへ行くきっかけは何でしたか?

19歳の時に、初めてアメリカで短期語学研修に参加したのが原点です。また、兄弟が既にアメリカの大学に留学していたのも刺激になりました。漠然と、米国留学をして英語を現地で学び、日本に戻って外資系企業で働ければいいかなと思っていました。ただ、資金もプランも全く固まっていなかったので、まずは社会人経験を積むためにと就職を選択しました。

アメリカでは模範学生!

ーー社会人生活を経てからの大学生活。どんな日々でしたか?

朝は一番に学校に行き、一番前の真ん中に必ず席を取って勉強していました。周りの学生は自分よりも若く、特別に英語が得意な訳ではなかったので1回1回の授業が勝負。人の何倍も努力しようと決め、ひたすら辞書を引きまくり、書きまくりでした。当時は今のようにネットが主流ではなく、大きな辞書を何冊も持ち歩いていたのでYumikoのバックは岩のように重いと言われていました。大学を卒業する31歳まで、人生であんなに勉強したことはないというくらい勉強に費やした6年間でした。

ーー安定した仕事を辞めて米国留学。ご両親はどのように送り出してくれたのでしょうか?

私は何事も決断してからの行動は早いですが、決断まではとても悩む性格です。その姿を何年も両親は見守ってくれていました。だからでしょうか26歳で「米国留学したい。」と伝えた時、父は「若い時に出来ることは挑戦しろ、よくぞ決断した!」と間髪入れず言ってくれ、この言葉で一気に霧が晴れ、私の背中を大きく押してくれました。父は教育に関してはとてもオープンで3人の子へは私たちがやりたいということには、惜しみなく、心良く受け入れてくれました。日本を出発する際は「今、行くんだったら向こうで永住するくらいの気持ちで行け。中途半端では帰って来るな」と厳しくも愛情深く送り出してくれました。

ーーアメリカと日本、働き方の違いはどんなところでしょうか?

大きな違いは、細かいしきたりやルールに囚われない仕事ができる、アピールと実績尊重という点です。日常生活には不自由ない英語力があっても、やはりビジネスの場となると言葉の壁や文化的な考え方の違いが出てきます。最初は堂々とできませんでしたが、それでもspeak up(声をあげる)すること、また、言葉で足りない部分はリサーチを十分に行い、ビジュアルにアピールするなどプレゼンテーションの仕方を工夫することで、自分に足りないものを補い、私にしかできないものをアピールし、相手を納得させてきました。

シカゴの展示会ブースで。同僚たちと

ーー41歳から婚活を始めたきっかけを教えて下さい。

40歳を過ぎ、私は一生シングルで生きていくものだと思い始め、この先の人生設計をあれこれ考え始めた矢先、日本から遊びに来ていた親友が「人生にパートナーは絶対に必要!!私は絶対に再婚するっ!」と鼻息荒く語りまくって、やたらに結婚を勧めて来ました。一度結婚に失敗しても、人にそんなに勧めるのであれば「私にもパートナーがいた方がいいのかも」と有料のマッチングサイトに登録したのがきっかけです。

 
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