「うん、サンパね」
ランチに野菜のあんかけ豆腐を出したら、マルゴはしばし考えてから言った。
「Sympa」とは便利な言葉だ。「イイ感じ」とでも訳せるだろうか。「あいつサンパだな」、「この店はサンパね」……人でも物でも雰囲気にでも使える、口語の軽いノリの誉め言葉。ゆえに友達の微妙なアート作品とか、下手な演奏などを感じ良くスルーするのにも使える。
ふむふむと咀嚼しつつ、豆腐にケチャップとマスタードを追加し始めるマルゴに、
「冷蔵庫が空っぽで、今日買い物に行こうと思ってたの。ごめんね」
と下手に出てしまう自分も嫌だし、
「いいのよ、トーフって味がないのね」
と、なぜだか気の毒そうな顔をされれば癪に障る。
ご飯にもバターと塩をトッピングして、ようやく食べ物になった、と言わんばかりの笑顔になられると気が重くなった。
「僕も初めは豆腐って味がないなって思ったけど、今はすっかりファンだよ」
カンタンに気を使われ、そういえば確かに当初は微妙な反応だったなと思い出す。今では冷奴や豆腐丼を喜ぶほどになっているけれど。
私が作る料理は、時々カンタンが作ってくれる料理に比べると断然薄味。和食も多く、それが今では「我が家の味」になっている。
でももしかしたらカンタンも、料理にケチャップやバターを足したいのを我慢していた時期があったんだろうか……。
「で、なにがあったわけ?」
私が悶々としつつ箸を進めていると、カンタンが唐突にマルゴに水を向けた。
その言葉にむっつりと不機嫌を露わにするマルゴに、ここまであからさまな顔を人前にさらせるのがすごい、と思ってしまう。いくら家族の前であっても、我が家ではここまで感情を顔に出す人はいなかった。
両親だけじゃない。我が家は「仮面家族」だったから。
「私は母親に向かないって」
想像を超えるマルゴの強烈な返事に、カンタンも私もギョッとした。
「えッ! 子供、考えてたの?」
「そうよ、悪い? 四十もすぎて仕事も収入も安定して、いよいよ私たちの人生薔薇色ってときに、世界が狂い出して……それでも二人で共に未来を歩んでいこうって決めたら、今まで考えてなかったことだって、いろいろ考えるわよ」
マルゴは高い鼻をフンッと鳴らした。自身が子供のような奔放で天真爛漫な人だけど、兄の子供たちをベタ可愛がりしていたし、子供好きらしいとは感じていた。でも「子供が欲しい」なんて話は一切していなかったし、酒好き・タバコ好き・パーティー好きで「パスカルと二人、仲良く水入らずで暮らせれば幸せ」と言っていたのでは……。
「そりゃ五年前に付き合い始めたときは、子供なんて考えなかったよ? でもパスカルとアパルトマンを見て歩いてるうちに、直感的にもう一部屋欲しいなって。なんでだろうって自分でも不思議に思ったわよ。でも二人で愛情を分け合うだけじゃなくて、二人の愛情を注げる存在がいたらって――」
そこまで語って、マルゴは急に目元を押さえた。
「一度考えちゃったら、子供が頭から離れなくなった。今すぐじゃなくても、いつかの可能性も考えて、もう一部屋ある家にしないかって言ったの。それに、部屋はないよりあったほうがいいでしょ? なのにパスカルったら、予算のこととか話が違うとかグチグチと……」
パスカルは暴走しがちなマルゴをうまく操る術を知っている。少し皮肉屋ではあれ、知的で穏やかで、浮き沈みの激しいマルゴを包みこめる器の大きい人のはずだけど――
「それでパスカルは、子供は欲しくないって考えなわけ?」
カンタンが突っ込んでくれ、ドキドキしつつ耳を傾けた。私もそれなりにフランス語はできるものの、フランス人の弾丸トーク中は流れを止めてしまいそうで、基本的に聞き役に徹している。
「よくわかんないのよ。ただ、現実的じゃないって。けど、私は母親に向かないってあんまりじゃない⁉ 家事だって、ちゃんと半々でやってるのに!」
まさかの展開。考えていたより、だいぶ深刻な事態らしい。
泣きわめくマルゴに同情しつつ、パスカルの言うことも一理あるような気がしてしまい、後ろめたい気分になる。
私は個人的にパスカルが好きだ。この人なら相手は他にいくらでもいただろうに、なぜ癖の強いマルゴを選んだのかと思ったことも一度や二度ではない。絶対口にはしないけど。
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