自由を得るためには、責任を持つことが大事!


自由を得るためには、自分の言動に責任を持てるようになる必要があります。逆を言えば、自分以外の人に責任を取らせるのに、好き勝手なことはできないもの。
自分で責任をとる覚悟があるからこそ、自由になれるのです。

 

例えば、女優の小西真奈美さんは、演技をするお仕事のほか、自ら作詞作曲を手掛け、シンガーソングライターとしても活躍していらっしゃいます。自らの意志で、やりたいということにチャレンジされているのです。それは、「やりたいことをやるという自由と共に、責任を負っているからできる」のだといえるでしょう。
以前、ミモレのインタビューで、小西さんはこういったことをおっしゃっていました。

<与えられるのを待っているだけだと、責任が自分にかかってこないですよね。そうすると、幸せを外に求めるし、結果も外に対して責任を課してしまいがち。
逆に、自分発信だと、責任も全部自分で負う必要は出てきますが、自由と共に責任を担う覚悟があるなら、やりたいことをやれる状態に年々なってきていると感じています。>

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日本人の多くは、「自分が責任をとる」ことに対して恐れる人は少なくありません。だからこそ、責任をとる人の言いなりになってしまってしまうことがあります。それは無意識的ではあっても、「不自由さを選択している」と言えるのです。
ただ、「選んでいる」という意識すら持っていない人は少なくないので、「自分が何を選択しているのか」は、認識したほうがいいでしょう。

ただし、人によって求める「自由の度合い」は違います。自由を手に入れると、その分、自分で考えたり、決めたりする必要が出てきます。
例えば、「身の回りのものを使って工作してください」と言われると迷ってしまうけど、「トイレットペーパーの芯を使って工作してください」と言われると、制限がある分考えることが減って楽だと感じる人もいます。
意外と人は「自由が欲しい」と言いながら、「全て自分で決められる自由」よりも「制限がある中での自由」を求めていることが少なくありません。
「何もかも自由だと、何をしたらいいのか分からなくて困る」「制限がある中で自由でいられるのがちょうどいい」という人はいるのです。例えば、会社員を辞めて、「毎日決まった時間に、決まった場所に行かない生活になると、どうしたらいいのか分からない」という人もいるでしょう。
一方、起きる時間も仕事をする時間も居る場所も、さらに、仕事の内容も一緒にいる相手も全て自分次第にできる環境に幸せを感じる人もいます。そういう人にとっては、制限の多い環境は“囚われの身”のように感じてしまうことすらあるでしょう。
確かに私自身も、会社を辞め、独立したときは、まだ自由に慣れていなかったため、「こんなに自由でいいの?」という罪悪感と共に、孤独と恐怖感を抱きました。でも、自分の言動に責任をとる覚悟を持つようになったら、それらはなくなり、むしろ幸せを感じられるようになりました。

「自分は自由だ」と思っていても、実はまだ不自由さのほうを選択していたり、逆に、そこまでの自由を求めていなかったりすることもあるのです。
自由でいるのも不自由でいるのも、本人の自由です。どれが正しい、正しくないという話ではありません。
今後は、「自分がどの程度の自由を得たいのか」を考えながら、自分にとって心地よい自由を手に入れることを意識してみてはいかがでしょうか。
 


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