我欲に振り回されないために大事なこと
我欲の裏には、劣等感や恐れが隠れていることが多いものです。人は、自分の劣等感を誤魔化すために、出世、名声、権力などを求めることが多いし、さらに、「自分は持っていない。足りない」という恐れから、お金を必要以上に追い求めすぎてしまうことがあるのです。
だから、「劣等感を解消させる」のはもちろんのこと、「今、目の前にある幸せに目を向け、それをきちんと味わえる」ようになる必要があります。
今の自分をきちんと受け止め、それなりに満足感を得られている人は、むやみに出世、名声、権力を追い求めません。
さらに、「幸せになるために、必ずしもお金が必要なわけではないこと」「お金があったところで、必ずしも幸せになれるわけではないこと」「自分が本当に求めているのは、お金以上に幸せだということ」を理解できるようになると、むやみにお金を求め、欲望に振り回されることはなくなるでしょう。
そういう心持ちや人生観が、我欲を抑えるために役立つのです。
我欲が強い人は「愛が枯渇している」ことが多い
我欲の強い人は、実は「愛を求めていること」が少なくありません。もっと自分を愛したいし、人からも愛されたい。もっと自分を理解してほしいし、受け止めてほしいという思いを抱いているのです。だから、「私が! 私が!」と自己主張が強く出てしまうのです。
そういう人ほど、まずは自分自身が「“ありのままの自分”を受け止め、成長を願い、愛してあげること」が大切です。でも、それができないから、出世という“社会に認められる形”を得ることで、自己を認められるようになりたいと考えてしまいます。
本来は、出世という形でなくても、自分を認め、愛せるようになる方法はあるし、逆を言えば、単に出世したところで、おそらく自分を愛せるようにはならないでしょう。
むしろ出世を目的に、人を利用したり、汚い手段を使ったりすればするほど、心の底では、そんな“ズルい自分”を認められなくなり、余計に愛を求める気持ちが強くなることは多いものです。
我欲の強い人は、根本的に人生観を見直し、生まれ変わるくらいの覚悟をもって、“自分が本当に認められる自己”になる必要があります。平たく言えば、「自分がいい人だと思う人物像」に自分が近づけるように心を磨き、成長していくしかないのです。
もしかしたら、「出世すること」よりも「心を磨くこと」のほうが、難易度が高いこともあるでしょう。でも、心を成熟させることでしか、本当の意味での心の安らぎはないのです。
ちなみに、我欲はよくありませんが、“欲望そのもの”は悪いとは言えません。なぜなら、人は欲望があるから向上心を抱き、成長していくところもあるからです。
欲望を捨て、無欲になることが必ずしもいいわけでないのであれば、欲望の強い人はどうしたらいいのでしょうか。「弘法大師の密教」にヒントが隠されています。次のページで紹介します。
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