そういえば、とゴミ箱の隙間に尻もちをついている男性に駆け寄ると、弛緩した表情でくったりと目を閉じていた。酔いつぶれた、黒ずくめの源二郎だった。

「何百、何千って恋愛映画を観ても、現実のひとつの恋愛を前になすすべもない」

パリに来て、人生で初めて、大きな声を上げた夕暮れ_img0
 

唐突に格言めいたことを呟かれ、呆気にとられた。いつも鋭い眼差しで背筋を伸ばしている源二郎が、どろりと光のない瞳で肩を丸めている。

財布とスマホを盗られたのに「どうでもいい」と投げやりな源二郎を引っ張って、被害届を出すために警察署にやってきた。順番待ちの間も、ずっと仏頂面で黙りこくっている気なのかと横顔を窺うと、ふと目が合って重い口を開いたのだった。

 

「独身を貫いているマダムでね、別に付き合えるなんて思ってはいないよ。でも、多くのボーイフレンドの一人でしかないのは嫌なんだ」

前後不覚になるまで酒を飲んでしまった経緯を、ぽつりぽつりと語り出した。

「彼女が贔屓にしてる画家のヴェルニサージュがあったんだけど、もうすぐ彼女の誕生日だからって、取り巻きの男のひとりがシャンパンを持ってきたんだ。若くて美形だけが取り柄の、お飾りみたいな男さ。そいつは俺が彼女と親し気に話し込んでいたことが気に食わなかったんだね。フランスの日本犬ブームにかけて、〈お利口で従順なジャポネ〉って言われたよ」

皮肉な笑みをたたえながら、屈辱に血をたぎらせているのがビンビン伝わってきて、その静かな怒りに固唾を呑む。

「マダムが俺をペットのように扱ってるわけじゃない。そんな下品な人じゃないよ。ただ、一人の男とまでは認めてもらえていない。それは、自分でもよくわかってるんだ」

苦悶に顔を歪める繊細な同期生が、急に近しい存在に思えてきた。

――完璧なノーブルも、恋愛に悩んでたなんて……

同時に胸の奥に抑え込んでいたギヨームへの感情がせり上がり、目頭が熱くなる。