「好き」の最上級は「恋愛感情」じゃなくたっていい


恋愛する人との認識の違いで大きいのが、異性(異性愛者の場合)に対する「好き」の最上級が、恋愛感情になるかどうかです。恋愛する人であれば、大好きな異性への思いはすなわち恋愛感情になります。しかし、アロマンティックの場合は違います。恋愛感情という概念はそもそも存在しません。好き、大切、という気持ちはもちろんありますが、だから独占したい、触れたい、とはなりません。

それに愛は恋愛だけではなく、友愛など様々な愛があります。友人が、彼氏や配偶者ができると、パートナー、家族ファーストになって、それ以外を少しないがしろにする姿を見て、不思議に思ったことがあります。

恋愛が最上級であって、それ以外は劣るというような感覚が、筆者は理解できません。特別な人、大好きな人、は性別問わずいますが、それは恋愛感情ではありません。愛に序列がない人もいるのです。

『恋せぬふたり』が教えてくれる、性のグラデーション。“曖昧な色合い”が混じり合える社会になれたら_img0
写真:Shutterstock
 


わかりやすく描かれているからこそ、少しだけ心配なこと


ドラマでアロマンティック・アセクシュアルを扱うこと自体、とても画期的なことだと思います。しかし、筆者は少し、このドラマに違和感を持ちました。それは、アロマンティック・アセクシュアルの人々と、恋愛至上主義者が少し、いや、かなり極端に描かれているからです。

咲子の上司が「恋しない人はいない」と言ったり、咲子の元彼が、羽がアロマンティック・アセクシュアルと知った時、失礼な質問をいきなり投げかけたり。正直セクシュアリティの前に人としてどうなんだという振る舞いがたくさん出てきます。恋愛至上主義者を極端に、かつ無神経に描き、アロマンティック・アセクシュアルのふたりとの対比を強くし過ぎている印象があるのです。