アロマンティック・アセクシュアルの描き方も、少し極端に感じました。羽は人と触れることがまったくできず、骨折した時でさえ、支えようとしてくれる咲子に触れるのを躊躇するほどです。また、恋愛の話を聞くことを嫌がったり、恋愛至上主義者の主張には必ず反論したりします。はっきりした性格が羽の良さでもありますが、元々少しだけ偏屈な性格もあり、こだわりが強く潔癖、という印象を持ちます。そのせいか、アロマンティック・アセクシュアルが極端で、異質な存在という印象が強調されてしまっているようにも感じました。

確かに極端に描くほうがわかりやすくはあるのですが、アロマンティック・アセクシュアルとはこう、という決めつけが生まれそうで、少し心配にもなります。

 


色のグラデーションが混じり合う、そんな日常を願って

『恋せぬふたり』が教えてくれる、性のグラデーション。“曖昧な色合い”が混じり合える社会になれたら_img0
写真:Shutterstock

先ほど触れたように、アロマンティック・アセクシュアルにもグラデーションがあり、恋愛の話もするぶんには問題ない、楽しめるという人もいれば、身体的接触が嫌いじゃない、普通に好き、という人もいるでしょう。このように、決して二項対立ではなく、グラデーションで、曖昧で、混ざり合ったものだと思うのです。
 
同性愛を扱った作品が増えるにつれ、その存在が自然と溶け込むような作品も生まれたように、いつかアロマンティック・アセクシュアルの人が、何気なく登場し、わざわざ説明チックな構成ではなくても、自然と理解される日が来るといいなと思います。

恋愛至上主義者というマジョリティによって作られた社会は、恋愛をして、結婚して、子どもを産んで。それがスタンダードで、幸福の必要十分条件、という常識のもと成り立っているように感じます。しかし、そこに当てはまらなくとも、自分が思う幸せを感じながら生きている人たちの存在も、知られてほしいと思います。
 

文/ヒオカ
構成/金澤英恵


※初掲時、記事の表記・表示に一部誤りがありました。お詫びして訂正いたします。


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