ロシアのウクライナ侵攻以来、なんだか頭がボーっとしています。とんでもなくひどい状況が生中継かのように入ってくる、それに対して何もできない、何をしたらいいかわからず、進行する事態に募るのは無力感ばかり。しょせん私には、なんか書くことしかできないんだよなあ。でもまだまとまらない。

繰り返される映画業界のセクハラ、パワハラ

繰り返される映画業界の性暴力。立場の差を利用した「合意の上」の醜悪さ_img0
 

という中で、やってきた国際女性デーに入ってきたニュース(女優の監督からの性被害の告発。それを受け、さらに新作映画公開中止)は、プーチンとも通じる話かもしれません(→次回に解説します)

私がいる映画業界における、とんでもなくひどいセクハラ案件。監督が女優にキャスティングをちらつかせながら性的な関係を迫った、性的な関係を強要したというものです。イマドキそんな絵にかいたような、とってつけた典型的なセクハラがまかり通ることにも驚愕ですが、力の差を利用して「NO」と言えない状況を作って(飲み込むしかない弱い立場の人間のみを標的にして)おきながら「合意の上だった」っていう、まじで「耳タコ」な言い訳がまかり通ると思っている傲慢さ、そしてその新作映画が、こともあろうか、テーマは女性の性被害……ってなめ腐るのもいい加減にしてくれませんかね、君、ハーヴェイ・ワインスタインって人知らないの? 同じようなことやって、禁固32年で刑務所入ってる人ですけど。

 

「人となりを知るために、まずは飲もう」は正当か


さてこの人への怒りはさておき、ここから派生したもう少し見えにくい、だからこそ大事な問題を。私が気になったのは、この騒動を「自分はそういうことはしないけど」と非難しながら、「でも女性のことは男は理解できないし、人となりを知る上でも、女優と飲むことは大事なこと」と言っている別の監督がいたことです。「うん、そりゃそうだよな」ってうっかり納得しそうになりますが、これ、いろんな意味で問題をはらんでいるとおもいます。

分かりやすくするために、普通の会社に置き換えてみましょう。新しいプロジェクトが立ち上がる、その部署の部長が、「一緒に仕事するにあたっては人となりを知る必要がある、ついては一度飲みに行こう」とか誘ってきたら。私なら即座に「キモっ!」と叫ぶだろうし、そんなヤツの下に入ったら「仕事を円滑に進めるのに、ノミニケーションは必須」とかなんとか死語の世界に引きずり込まれること間違いありません。即刻“人事部通報案件”です。その部署への異動が決まっているなら「時代錯誤の飲み会強要はやめてください」だし、異動はまだ決定事項でない、一緒に飲まないとメンバーになれないなら、それで結構、こちらから丁重にお断りします。

で、もしそのプロジェクトが、ずーっとやりたかった案件だったとしたら。断ったらプロジェクトに参加させてもらえないとしたら。飲みに行くのがイヤでも、なかなか断ることはできません。日本人、特に日本人女子の悪い癖は、どうせやらなきゃいけないなら、嫌な顔をせずにやる、と幼いころに叩きこまれていることです。さらに「人となりを見る」って言われてたら、当然気に入ってもらいたいと思う。そもそもそんなところで本当の「人となり」が見えるのかって話ですね。さらにいえば、ほんとに人となりが知りたいなら面談でいいのでは? もしかして「酒が入らないと、人間の本性は見えない」とかいう、恐竜時代の常識でしょうか? 酒を飲んで荒れたとしても、仕事中は酒は飲まないし、関係ないんでは?

断れない相手への「支配」と「蔑み」


「いや、映画は普通の仕事とは違う、人間を描くものだし」とか言われそうですが、そういう「映画という仕事は特別」と思っている精神性は、ある部分では映画作りにおける「プロの仕事」を軽んじているようにも思えます。人となりを知ろうが知るまいが、美しさも醜さも、正も邪も、善も悪も、表現できるのがプロなんでは? もちろん仕事のしやすい人、しにくい人という相性はあるでしょう。でもそれは「一緒に酒を飲むこと」なんてなくても、確認できるのでは? そもそも海外の監督で、キャストをするのに「一緒に酒を飲む」なんて聞いたことないし。いや、もしかしたらあるかもしれませんね。でもトップスターに仕事を頼むとき、それを要求する監督がいるでしょうか。それが起こるのは大部分が「一緒に飲みたい監督」が「断られないと分かっている相手」に声をかけたときなんでは?

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「一緒にお酒を飲みたい監督」がまったく分かっていないのは、そこに「支配」があることです。敵は「男性」ではないし、よく言われる「男性性」ですらない。憎むべきは「有害な男性性」。何かを支配せずにはいられないこと。「俺は女性を差別しない」と思っている男性に願うことは、自身に「自分も悪意なく女性を蔑んでいるかもしれない」という疑いの心を向けてもらうことです。

首相は皆無、地方自治体の首長は2人、閣僚に入ってもせいぜい2~3人、有名大学医学部でも都立高校でも意図的な減点で作られた「男は女より優秀」という嘘が蔓延り、あらゆる組織の決定権者から女性がはじかれてきた日本、そんな日本に生まれ育ち、日本でしか教育を受けていない男性は、どんなに意識しても「有害な男性性」から完全に逃れることはできません。だからこそ、自分が支配する世界の当然さを疑い、自分が知らぬ間に誰かを支配してしまうことがあると気づいてほしい。責めているわけではありません。ただ、お願いしたいだけ。


写真/shutterstock


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