不安の尽きない、妊婦のトラブル


妊娠がわかってから、基本的に近所のスーパーではなく、歩いて十五分ほどのビオ専門店を利用している。もちろんリュカの提案だ。

フランスに来て驚いたことのひとつに、ビオ商品の人気ぶりがある。

食材だけでなく、衣類や日用品の種類も豊富。専門チェーン店や、ビオを謳うカフェやレストランも多い。値段は言わずもがなだが、ものによっては目を疑うほど高いし、ビオ=品が良い、というわけでもない。

野菜や果物の大半は量り売りになっていて、自分で必要なぶんだけ紙袋に詰める。なるべく鮮度の良さそうなもの、と選り好みするわけだが、どの野菜も古いか傷んでいて閉口することもある。

この日は目当ての野菜がことごとくしなびていて、さてどうするかと他を物色していると、難しい顔で野菜をあさっていたおばあさんと視線が合った。

「ビオ、メ、ファネ(ビオ、だけど、しなしな)」

口をすぼめて肩をすくめる姿にニヤリとしてしまう。見知らぬ人にいきなり声をかけられることが多いのも、フランスで驚いたことのひとつだ。

「いててッ」

帰りがけに突然、左脚の付け根に痛みが走った。

最近腰が痛くなってきたので買い物にはリュックを背負って出かけるようになったが、かつてヘルニアを経験したときに似た神経を圧迫するような痛みに冷や汗をかく。まだお腹のふくらみもなく、妊娠期間の折り返し地点にも至っていないというのに、これから出産まで身体が持つだろうか。

――ヤバ、また来た……

加えて、お腹の調子の急変。目が泳ぐ。

下腹部にギリリと締め付けるような違和感があったかと思うと、唐突にぎゅるぎゅるとくだりだし、青ざめてトイレを探すはめになったことが二度や三度ではない。コンビニや駅など、日本ではさほど苦労せずきれいな公衆トイレが見つかるが、フランスのトイレ事情の悪さは壊滅的だ。

「トイレ使っていいですかッ」

近くのカフェに飛び込み、便座のないお世辞にも清潔とはいえない個室で、ふぅーと脂汗を拭う。目立ったつわりがなくてラッキー、なんてのほほんとしていたが、こんな症状に苦しむことになるとは……

フランスと日本の「妊婦事情」のちがい。ダウン症検査への母の思いは..._img0
 

無料でトイレだけ使わせてもらうのも悪いので、カフェインレスのエスプレッソを注文し、お腹が落ち着くのを待つことにした。テーブル席より安いカウンターにしようかとも思ったが、この状況でたった数十セントをけちっても仕方ないとテラスに腰かける。

 

<大丈夫?>

なかなか帰ってこない私を心配したリュカからメールがきていた。折り返し電話して事の顛末を語ると迎えに来てくれ、買い物リュックも背負ってくれる。

「NIPTの検査結果、陰性だったよ」

リュカにすがってよたよた歩きだしたとき、囁くように報告されハッと目を見開く。

もし陽性だったら、更に羊水検査や絨毛検査をするよう推奨されていた。ごくわずかとはいえ母体や胎児にリスクがあると知り、気が重かった。

「そっか、良かった」

しっかりとリュカの腕を取り直し、寄り添って帰る。

安堵に胸をなでおろしながら、子供を産んだら後戻りはできない、一人の人間の一生を引き受けなくてはいけないんだと、改めてその重さが怖くなった。

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ついに胎動が始まり妊婦の自覚が芽生える蘭。しかし、異国での妊娠は心配事も尽きずーー?

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<新刊紹介>
『燃える息』

パリュスあや子 ¥1705(税込)

彼は私を、彼女は僕を、止められないーー

傾き続ける世界で、必死に立っている。
なにかに依存するのは、生きている証だ。
――中江有里(女優・作家)

依存しているのか、依存させられているのか。
彼、彼女らは、明日の私たちかもしれない。
――三宅香帆(書評家)

現代人の約七割が、依存症!? 
盗り続けてしまう人、刺激臭が癖になる人、運動せずにはいられない人、鏡をよく見る人、緊張すると掻いてしまう人、スマホを手放せない人ーー抜けられない、やめられない。
人間の衝動を描いた新感覚の六篇。小説現代長編新人賞受賞後第一作!


撮影・文/パリュスあや子
構成/山本理沙



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