2014年、わずか6型のシャツからブランドが始まった「MADISONBLUE(マディソンブルー)」。以来、”ハイカジュアル”を提案し続け、今やエクセプショナルなブランドに。
そのマディソンブルーのデザイナー兼ディレクターである中山まりこさんをファッションエディターの松井陽子さんが訪問し、その服の魅力に迫ります。今回は中山まりこさんの服づくりのエネルギーの源について松井さんがお話を聞きました。
「うきっ」とする気持ちは原動力。
インスピレーションを大切にしたい
中山まりこさんと知り合ってから、はや8年。表参道に素敵なショップもでき、スタッフの数もお洋服のラインナップもぐっと増え、確実にマディソンブルーは大きな存在に。
そんな中、まりこさんが作りたかったものを形にするスタッフ、そして作られたものをお客様に届けるスタッフとはどんなやりとりがなされ、まりこさんの物づくりへの思いを共有しているのだろう……? そう思うことがありました。まりこさんは服を作る際にも特にテーマなどを掲げないと聞いていたから。
「聞きたいこと、知りたいことがあったら直接私に聞いて! って(笑)。だって、自分から興味を持たないと」。一方的に伝えて、それをメモにとって。そうすることでみんなが同じことを共有できそうだけれど、でもそれではその人のフィルターを通らない。「こっちから教えるようではダメ。そもそもマディソンブルーの服に興味がない人は服を売る資格なんてないでしょ」と、きっぱり。確かにそう、その通りです。
もちろんアイテムについてはさっと話すけれど、それに対して「聞きたいことはそれぞれまりこさんに聞く」というのがマディソンブルーのスタイル。「洋服をパッと見たときのインパクトやインスピレーションってあるでしょ? 『わー!』『きゃー!』って、ときめく心は人にも伝わるの。そしてその気持ちこそが、買い付けに来てくださったバイヤーさんや、お洋服を選びに来てくださるお客様のうれしい気持ちを引き出すもの。だから、スタッフのそのインスピレーションは大事にした方がいい。何の分野でもそうだと思うけれど、「うきっ」として伝え、届けたいなって思う。わくわく、うれしい気持ち、そういうインスピレーションってすべての原動力よ」
テーマありきではないーーある程度の規模の組織においてそれを実現させるのは難しいと思いますが、それこそがまりこさんの服作りのスタイル。もちろん作りたいものは最初からあるのだけれど、当初はふわふわ、ぼんやりしているもの。サンプルができ、ルック撮影のさなかコーデイネートを組んでいる時にまりこさんの中で1ピース1ピースが繋がり「私、今シーズンはこういうのを作りたかったんだ!」って輪郭が整い、全体がひとつになる。「言葉にすると枠ができてしまうでしょ。その枠から飛び越えられなくなるのがイヤなの。言いたいことも、やりたいことも洋服で伝えているから、それを言葉には乗せられないもん。言葉で語れるくらいだったら、洋服を作っていなかったかもね」
単に情報の“共有”ではなく、それは“共鳴”。そこにパッションが宿っているからこそシンパシーとなり、響き合うもの。まりこさんはにこやかに話してくれたけれど、それはとても深い言葉。噛みしめるように聞き入ってしまいました。
関心はいっぱい持っていた方がいい。
持ち続けていれば、きっとやって来るから
ポップアップショップは国内にとどまらず、まりこさんがここ数年恋するように通っているパリのサロンでも行われました。そのパリは、今となってはまるで遠距離恋愛中の恋人のように、まりこさんが思いを寄せる街。でも、若い頃に訪れた時は、苦い思い出ばかりだったそう。
「これがまた不思議でね。若い頃に行った時は英語が通じないし、とにかく意地の悪い街で、本当に苦手! ってそれ以来ずっと思っていたの。でもどうしてもメゾンのコレクションを見たくて、30年ぶりくらいに訪れてみたらパリのことが大好きになったの! 街を歩いていたら『そのスカート、あなたにとっても似合っている』って声をかけられたり、ショップでお買い物していても、ホテルでも、人として大切に扱われている感覚がとっても心地良くて。あんなに嫌っていたのに、今は寝ても覚めても愛すべき街。そのことをパリの友人に話したら『街がまりこのことをマダムとして受け入れてくれたんだね』って。パリは年齢を重ねた人が素直にリスペクトされる街。だから私もこの年齢になって好きになれたんだなって」
そしてもう1つが、バーキンとの出会い。これもまたまりこさんの選択肢にはそれまで全くなかったのだけれど「せっかくお声をかけていただいたものだから、使ってみよう」と手に入れてみたら、そのバッグがまりこさんのカジュアルスタイルをさらに前へと進めてくれることに。
「だって、バーキンがあれば、デニムにワークシャツとスニーカーでいいんだもの。最近になってまた一気にカジュアルダウンできるようになったのは、バーキンとの出会いがあったから」。まりこさんのカジュアルスタイルに新しい風を運んでくれたのもそう。そして、ずっと作りたくて、どのタイミングで出そうと考えていたものを作ってみようとなったのもバーキンのおかげだったのだとか。
「パリもバーキンもきっと30代、40代の頃だったら、こんなふうにはなれなかったと思う。物も事も、本当にいいタイミングでやってくるの。そうやって出会ったのはやっぱり必然。だから、苦手と思っても関心は常にいっぱい持っていた方がいい。そうすれば、そのうちに向こう側からやって来てくれるから。苦手だけど、やっぱり行ってみよう、持ってみよう、って。そうやって心を開いておけば、その先のいっぱいの出会いももたらしてくれるから。出会いに感謝!あんなに苦手って言ってたあの頃の私、んー、可愛かったなーってね(笑)」
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