2011 年3月11日、『東日本大震災』発生――。日本全国民を震撼させたその災害は、多くの人の心に今もまだ深い傷を残しています。先日もまた宮城県、福島県を震源とした大きな地震が起こったばかり。ある日突然起こる天災は、あまりにも多くの人の人生を否応なしに違う方向へと向かわせてしまいます。
小説『やがて海へと届く』は、彩瀬まる先生が自身の震災体験を元に執筆された小説です。大学時代に出会ってから、ずっと親友として過ごしてきた真奈とすみれ。旅行が好きだったすみれはある日ひとり旅に出てしまい、帰ってこない。周囲が少しずつすみれの不在を受け入れていく姿を見ながら、真奈は未だに決心がつかずにいます。
積み重ねようとしていた人生を突然剥奪されることが
どれだけ残酷かを描こうと思った
『やがて海へと届く』は小説と映画で印象が異なるので、どちらを先に手に取っても両方をしっかりと味わえる作品です。彩瀬先生には、まずこの作品が映画化されることが決まったときの心境を伺いました。
彩瀬まるさん(以下、彩瀬):正直に言うと、最初は「できるの?」って思いました。私の歴代の作品の中でも、何作品かは「これは映像化は難しいだろう」と思うものがあります。幻想的なシーンがあったり、わざと抽象的な描き方をしている作品は映像化を期待してもするだけ切ないというか、ちょっとやりにくいですよね? みたいな諦めがあって(笑)。その中で『やがて海へと届く』の映画化のお話をいただいたときには、「え、すみれのパートはどうするの?」と本当に衝撃を受けたんです。そこから脚本をいただくまでの間は“未知数”な感じで……。脚本を拝読して、なるほどと思いました。
映画では現実世界にいる真奈に軸足を置いた作り方。「原作でいう“すみれ”は、“すみれ”と明言されないので……」と、彩瀬先生。試写を観るまではドキドキしたのだそうです。
彩瀬:すみれ、というか“もうひとりの私”として書かれたパートにあまり比重を置かれない描かれ方になるのだろうか、そうすると今度はそれで話のエンタテインメント性がちゃんと保たれるのだろうか、色々心配しながら試写に伺いましたが、拝見してとても納得できたんです。途中からもうなんと言ったらいいか、自分の原作であることを忘れて、ごく普通の大学生や社会人になったばかりの若い人たちの葛藤や足掻きを応援するような気持ちで観てしまい……。映画の最後に『やがて海へと届く』というタイトルが出てきて「あ、私が原作だった!」と改めて思ったという(笑)。原作と構成を変えていただいたというのもあって、元の作品とはまた違う驚きや切なさを感じる作品になったと思いました。
描き方は違えども、原作も映画にも心を揺さぶられることは間違いありません。
彩瀬:すみれと真奈の学生時代のシーンから大人になり、それぞれ仕事に就いてというシーンが映画にあって、そのシーンが小説よりもグッと前に出ているような感じがして、その分、そのあとにくるバス停のシーン、そしてすみれが失われるというのがどんなに残酷かというのをまざまざと感じてしまいました。小説の中でも、ひとりの人が積み重ねようとしていた人生を突然剥奪されることがどれだけツラいか、酷いことなのかを書こう、なるべく読み手の方に体感してもらおうと取り組んでいましたが、映画だと小説では手が届かなかったところも描けるのかも、と。
たとえば、彼女たちの、もしかしたら淡い恋が芽生えたのかもしれない関係性だったり、学生時代にそれが結実しなかったとしても大人になってから、また別の形で「実は学生の頃、あなたのことがちょっと好きだったんだよね」みたいな、大人になって振り返ることで別の名前をつけることができたかもしれない関係性とか……。これからお互いに心を渡し合うような、もっと大人になった先にまだまだ彼女たちの間に起こり得る未来があったのに、それが得られないことの残酷さをすごく感じました。
Comment