キャリアとは点と点を線でつなぐこと


とは言え、人生の楽しみをなかなか自分では見つけられないという人も多いはず。自分の来し方を振り返っても、一貫性がなかったり、明確な軸が定まっていなかったりすることは往々にしてありそうなものです。

けれど、「はっきり目標を立ててここまでやってきたわけではない」と言う国分さんも、改めて振り返ってみると、曲がりくねった道の中にちゃんと自分の軸がありました。

「たとえば社会貢献に関しても、はっきりと意識するようになったのは、東日本大震災があって、福島と深く関わるようになってからですけど、思えば阪神淡路大震災のときもJ-FRIENDSというかたちでチャリティー活動に参加させてもらったり、何かしらそういう機会には関わっていたんですよね。当時は社会のためにとか、そこまでは考えられていなかったけど、人の役に立ちたいという気持ちはずっと変わらない僕の軸なのかもしれないです」

TOKIO・国分太一さんと考えるセカンドキャリア論「バラバラの点と点も、いつかつながって線になる」_img4

 

インプットの時間がまるでとれなかった多忙期でも、仕事を断ったことがほとんどなかったという国分さん。その根底には、やはり「人の役に立ちたい」想いがありました。

「人の役に立ちたいというのが仕事を決めるひとつの理由でした。それは番組の内容が人の役に立つものかどうかというのもあるし、もっとシンプルに言うと、僕が関わることでスタッフの方たちの役に立てるかというのもそう。それこそ最初は売れたいしか考えていなかったのが、仕事を続けていると、僕たちを輝かせるために一生懸命汗をかいてくださる裏方のみなさんの存在に気づいていくわけじゃないですか。そうすると、今度は自分がその人たちの役に立ちたいと考えるようになる。人の役に立てたと感じられる瞬間が、僕にとっての喜びなんですよ」

 

バンドから会社設立へ。一見すると、畑違い。でも、まったく別の場所に立ってみて今感じることは、「すべてちゃんとつながっている」ということでした。

「たとえば企画書をつくることもそう。それまでまったくやってこなかったけど、でも番組を立ち上げるときは必ず企画書がある。僕もこれまで数えきれないくらいの企画書に目を通してきました。すると、読みやすい企画書、読みにくい企画書というのは大体わかってくる。そこで養われた目は、今、自分が企画書をつくるときのヒントになっています。この年まで生きてきてすごく感じているのは、バラバラに見えていた点と点もいつかつながってちゃんと線になるんだということ。だから、人生に無駄な経験なんてひとつもないと思います」

自分はこれから何をやっていきたいんだろうか。そんな迷いにぶち当たったときこそ、これまでの道のりを少し振り返ってみるといいのかもしれません。一見すると、まるで無関係な点と点がつながったとき、自らの進むべき道が見えてくるのです。

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国分太一 Taichi Kokubun
1974年生まれ、東京都出身。1990年にTOKIOを結成、1994年9月にシングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。以降、歌、バラエティ、ドラマ、ラジオなど多岐に渡り活躍。今や国民的長寿番組となった「ザ!鉄腕!DASH!!」をはじめ数々の人気番組に出演するほか、情報番組、スポーツ中継等で司会も務める。2021年に株式会社TOKIOを設立、取締役副社長・企画担当に就任。芸能活動と並行して、企業や自治体と協働した地方創生事業を展開している。
Twitter:@tokioinc_taichi


撮影/塚田亮平
スタイリング/九(Yolken)
ヘアメイク/野中真紀子(eclat)
取材・文/横川良明
構成/山崎 恵

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