ステレオタイプに囚われると思考が停止する


池上さんが重要視している「思考力」の高め方を考える前に、その育成を阻害する要素を見ていきたいと思います。池上さんは阻害要素の一つとして「ステレオタイプ思考」を挙げました。

「人は普段、さまざまなステレオタイプ思考に囚われています。ステレオタイプとはもともと、『同じ鋳型から打ち出された多数のプレート』という意味です。社会学や政治学の用語としては、『一定の社会現象について、ある集団内で共通に受け入れられている、単純化された固定的な概念やイメージ』を表しています。

『偏差値の高い学校を卒業した人は頭がよく、そうでない人は頭がよくない』『女性は理系科目が苦手だ』などといった固定観念、ステレオタイプに囚われて、疑わずにいると、頭が凝り固まり、思考力があるとは言えない人になってしまいます」

 

「親の過保護」が思考力の育成を阻んでいる


池上さんは、ステレオタイプに囚われているかどうかを判断する材料として、9ヵ国の17~19歳を対象にした「第20回 社会や国に対する意識調査」の結果を引用しました。ちなみに、本調査では「自分は責任がある社会の一員だと思う」「自分を大人だと思う」という二つの質問に対し、日本人が「はい」と答えた割合は他国と比べて非常に低かったとのことです。その理由を問われると、「日本人は子どもっぽい」「現状への満足度が高く、社会を変える意識が低い」といったことを即座に考えがちですが、池上さんはそれこそがステレオタイプな見方ではないかと疑問を呈しています。ちなみに、池上さんが考えた理由は「親の過保護」でした。

 

「最近の親は本当に過保護で、すぐに先回りしてあれこれと子どもの世話を焼きます。『支度はできているの? ランドセルに教科書は入れた?』だとか、『ハンカチ、ティッシュは持ったの?』だとか、口うるさく言います。常にそんなことを言われていると、自分で何とかしようという気は起きないでしょう」

このほか、過保護の例として大学の入学式に親が同伴する習慣や、親の学費負担も挙げています。もちろん、すべての大学生に当てはまるわけではないので、池上さんは「一概には言えません」と補足したうえで持論を展開しています。

「基本的に、親が過保護かどうかで、勉強への意欲にも市民意識にも、大きな違いが出ています。ですからこの調査結果に関しては、『日本の若者はけしからん』ではなく、『日本の大人は情けない』という見方もできるのです」