日本語を通じて社会とつながりたい、20年越しの学びを生かし日本語学習支援をスタート


就職活動がうまくいかず、司法書士事務所で事務のアルバイトを始めたものの、熱意や興味が持てず、物足りなさを感じる日々。そんなとき、子どもの頃から本が好きで、中学高校では国語や作文が得意だったことを、ふと思い出したそうです。大学時代には、留学生の話し相手になる活動に参加したことも。

「留学生に、自分の国や言葉に興味を持ってもらえることが嬉しかったんです。何もしないでいるよりは、好きなことをやってみようと思い立ちました」

日本語教育の学校に2年通学。その後、結婚、出産を経て、実際にボランティアを始めたのは子育てが落ちついてきた3年前。社会との繋がりを求める気持ちもあったと言います。

「大人と話すことに飢えていましたね。子育てをしていてほとんど人と話さない生活だったので、無人島に暮らしているような、文明から取り残されているような気持ちだったんです」

そんな時に、市役所の広報誌で日本語を教えるボランティア団体の活動を知ります。教える側は資格を持った「先生」ではなく、学習者の学びを手助けする「支援者」という立場。

日本語学習支援の勉強時間が取れないときは、「次の授業で教えることを頭の中で考えておいて、質問がきたら答えられない項目に集中して勉強していました」とじゅてさん。


今感じている、日本語を教える喜び・楽しさを聞くと。

「昔のことではあるんですけど、就職活動が全然うまくいかなかった時に"自分は世の中から必要とされていない"って気持ちになった記憶が、いまだに残っているんですね。だから、誰かの役に立っているって思えるのは素直に嬉しいです。あとは、単に日本語をダシにして誰かとしゃべれるのも大きいかもしれない(笑)」

中国ドラマにハマったことから、中国語の勉強を開始。中国人の学習者さんに日本語を教えるのに役立っているそう。


ボランティアを続けてきて、少しずつ自信がついてきたというじゅてさん。今後はオンラインで日本語を教える職を得て、もっとたくさん活動していきたいと言います。まだまだ社会から仕事として認知されにくい主婦業やボランティア活動ですが、間違いなく人生の糧になるキャリアだと感じました。

 


二人目は、オーダーメイドによるウエディングドレスの製作と、障がい者支援施設で洋裁の講師をしている、デザイナーのSumiさん。会社員時代に見失いかけた”服作りの楽しさ”を、2つの活動を通じて取り戻すことができたと言います。