「あなたって厄介な人だよね」。そんなことを誰かに面と向かって言われたら、果たして笑い飛ばせるでしょうか。筆者は「え、私って厄介? 直した方がいい? 迷惑かけてごめんね!」などとあたふたしながら、速攻で謝ってしまいそうです。
青木さやかさんが上梓したエッセイは、その名も『厄介なオンナ』。自分でも持て余すほどの繊細さや不器用さを静かに見つめ、周囲の人たちと“厄介な自分”との何気ない日常風景を綴った作品です。
とはいえ青木さんは決して、自分の“厄介さ”を自慢するわけではありません。周囲の声に応えようとするけれど、繊細な部分を隠したまま社会に馴染ませていくのって思いのほか難しいよね。そんな言語化しづらい心情を、過去の出来事やちょっぴり“ちぐはぐ”とも思える他者との会話を通して、ひとつずつ丁寧に描き出しています。
繊細すぎて、厄介だったからこその言葉
例えば、先輩芸人からの容姿いじりについて。実は内心傷ついていたことを告白する青木さん。先輩は私をおいしくしようとしていじってくれただけ。一旦はそう納得してみるものの、どうしても割り切れない感情。芸人だから当たり前、と開き直れたらラクだったのかもしれませんが、繊細すぎて“厄介な”青木さんだからこそ、こんな言葉が紡がれます。
人は繊細で、状況や体調で感じ方はかわる。
昨日はそのいじり方は笑っていられたが、心が疲弊していると泣いてしまうときもある。だからきっと、
「そんなことで泣かないでよ」
は、どんなときだって言わないようにしたい、と思う。
繊細さや不器用さは、どうしても厄介者扱いしがちです。
ですが青木さんの言葉を辿っていると、実はそうした飼い慣らせない部分こそが私らしさだったのかも、と思わず自分を振り返らずにはいられません。
筆者は美大受験に落ち、美術系の予備校に通うために上京させてもらったにもかかわらず、授業に全くついていけずドロップアウト。結局フリーターとして「労働者デビュー」したわけですが、地方の田舎出身で学歴も資格もなく、劣等感の塊だったため、仕事も人間関係もとにかく“自分を周囲に馴染ませる”ことに必死でした。バイト先のイケてる高校生にビクビクしながら教えを乞い、頭の切れる上司の前では赤面してうまく話せなかった当時の自分。
図太さと器用さを持ち合わせていた方が周囲も扱いやすく、仕事でも評価されやすく、何より自分が生きやすい。そんなことに気づき始めてからは、繊細さや不器用さを隅に追いやることに専念しました。スタート地点が丸裸とするなら、5年後には布の服。10年後には皮の鎧といった感じで、世渡りのための“防具”はどんどん分厚く頑丈に。馴染ませスキルも年々上がり、高校生に怯えることも、上司を前に赤面することもなくなっていきました。
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