文章力や構成力の良し悪しとは別に、心動かされる文章とそうでない文章があります。その違いはなんでしょう? 文章は読んでくれる人へのギフトと同じ。今日は、心動かされるギフトとそうでないギフトの違いについて考えてみたいと思います。

 
 


筆力のわりに実力が出しきれてない文章に共通するのは?


オンラインコミュニティ〔ミモレ編集室〕では、ときおり編集部から課題を出して、文章添削などを行なっています。また、ミモレには「ブロガー、ライターになりたい」とご自身の書いたものを送ってきてくださる方も少なくありません。それらを拝読していて、選んでいるテーマや内容はとてもいいのに、言いたいことがすっきりと伝わってこなくてもったいないな〜と感じることがあります。文章の上手い、下手ではないんです。むしろ筆力からしてもっとポテンシャルがあるのに、実力を出しきれていない感じ……なんでだろう? ってずっと思っていたんです。

ある課題の添削をしながら、言いたいことがストレートに伝わってこなくてもったいないと感じる文章に共通するものを見つけました。予防線を張ろうとする「自分ブロック」です。「自分ブロック」とはどんなものかと言いますと

・私なんかが……という謙遜
・自慢に思われないための自虐
・大衆ウケを狙うことへの羞恥心
・こんな人は少数派というテーマの過小評価
・完成度を高めないクセ

などです。

余計なツッコミや批判を受けないように、謙遜を入れたり、「乱筆乱文すみません」みたいな(全身全霊で書いたわけではありませんよ)と言い訳を入れたりするクセがついてしまってませんか。若い頃は「見て見てすごいでしょ!」と素直にアピールできていても、大人になると無駄に傷つきたくない。思慮深い大人ほど、先に言い訳をしたくなる気持ちはわかります。私もそうです。

しかし、読み手からすると、まどろっこしい、回りくどいと感じられてしまうことも。そうするとリアクションやコメントをしづらいですよね。

書き手としては、思ったより反応が少ないと自分自身が否定された、認められなかったと受け止めてしまったり……。特に、自己開示性の高い内容の場合は、反応が薄いとショックが大きいですね。

ではどのようにして「自分ブロック」を外せはばいいのでしょう。

 
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