音のない世界と聴こえる世界の間にいる子どもが「コーダ」。家では手話で、外では口話で話します。今年の米アカデミー賞で作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』の話題から、広く知られるようにもなっています。そして、コーダを時代が求める存在として松井至監督が描いたドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』は今、なぜ私たちがコーダを知るべきか。そんなことを教えてくれています。
「時代が今、コーダを求めている」のはなぜ?
ドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』の主人公の1人に、コーダとして生まれてきたアメリカ中西部に住む15歳の少女、ナイラがいます。5代続く“ろう”の家族に生まれた彼女の悩みは「耳が“聴こえる”」こと。手話で心を通わせる音のない家族にも、ろう文化を全く知らないクラスメイトとも馴染めずにいるからです。ある意味、自分探しの旅を始めた少女の姿がスクリーンいっぱいに映し出されています。
そんな彼女を追ったのは、「社会の周縁に生きる人々の知られざる物語」を世の中に送り出してきた日本人の松井至監督。導かれるようにコーダ・コミュニティが生まれたアメリカで現地取材し、コーダが一年に一度集まる「コーダ・サマーキャンプ」もカメラに収め、ナイラをはじめとするコーダの子どもたちの心の内を映像化しました。
松井監督はインタビューで「時代が今、コーダを求めている」と、話し始めました。
「コーダは、ろうの世界と繋がっている子どもです。『コーダは100の顔を持つ』と言われるのですが、ろう文化特有の身体全体で伝えることができる喜びや悲しみの表現力を身につけています。でも、それは聴者にとって全くわからない世界ではないのです。いかにして他者のことを理解できるのかが、問われている倫理の時代に、身体は聴者と同じ、内面はろう文化で育ったコーダはその入口になる存在だと思っています」
そう信じて、完成した映像は言語表現だけに頼っていません。ナイラをはじめ登場する少女たちが伝えたいこと、感じていることを、観ている観客が想像しながらシーンを完結する作りになっています。音のある世界とない世界の境界線を敢えて崩しているのです。たとえ、コーダの存在を知らなくても、77分間の映像と本編のために書き下ろされた楽曲から、今を生きる少女たちの心の声が見えてくる。そんな作品にチャレンジしています。
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