自分自身を映し出す作品
「親子」の関係性もこの映画のテーマの1つにあります。それは障がい者の親から生まれた健常者の子という枠組みから語られるものではありません。より普遍的に描かれています。
ろうのシングルマザーに育てられたジェシカという少女のパートでは、母親からの自立を探るありのままの姿が映しされています。「小さい頃から母親の通訳を担っていることへの自覚」、「時に重くのしかかる母親の愛情へのウザったさ」、「聴者主体の社会で生きることへの選択」と、1人の少女が抱えるには大きな負担に見えますが、自身の言葉で語るジェシカから秘めた強さを感じます。
そして、ジェシカと母親にとって、ベストな道を見つけるシーンは“ろうの母親”と“コーダの娘”という定義を超えて、共感を与えています。10代の少女が葛藤しながら、一歩前に進むことを決意した気持ちに寄せるほど、心が温かくなる場面の1つです。
「特別な誰かを観ているのではなく、自分自身を映し出しているかのような空気感を大事にしたかった」と、話す松井監督の言葉からも納得できます。ナイラ、ジェシカに加えて、自分の人生を身体いっぱいに手話で表現するもう1人の少女、エムジェイからも観る人それぞれが何かを得ることができるのではないでしょうか。
作品の中では、松井監督がコーダを取材するきっかけとなった話にも触れています。東日本大震災でろうの親を津波から避難させるために駆けつけた、耳の聴こえる娘や息子がいたことからコーダの存在を知り、7年の年月を経て今、映画として届けられているのです。
当事者はコーダだけではない。様々な登場人物を通じて、これが作品のメッセージであることを監督のこの言葉からも感じ取ることができそうです。
「コーダでも、女性でも、男性でも、誰でも、それは自分が選んで生まれてきた属性ではありません。それでも自分という伴侶と付き合い、時に生きづらさも感じる。葛藤しながら生きているのだと思います」。
前回記事「酷評をものともしない母親と姉妹『カーダシアン家のセレブな日常』に、私たちが勇気づけられるわけ」はこちら>>
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