もちろんただ人がバッタバタ死んでいくから面白いと言っているわけではありません。三谷幸喜がすごいのは、そうやって歴史の荒波に飲まれ散っていく人々の運命をどこまでも容赦なく描き切る筆力。その非情さたるやフリーザと鬼舞辻無惨を足して割らずに10かけたレベル。今なら振り仮名のテストで「鬼畜」と出たときに、「みたにこうき」と答えても花丸をもらえそうです。

しかもそれをただの露悪趣味ではなく、優しさと残酷さが共存した姿こそが人間なのだと思わせてくれるところが、三谷幸喜脚本の奥深さ。そこでここからは、この前半戦ですでに亡くなった登場人物の中から特に鮮烈な印象を残した3人の男の散りざまを通じて、三谷幸喜の作家性をつまびらかにしていきます。

「ロス」なんて可愛いものじゃない。壮烈に散った3人の男たち

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まずは1人目、すべてはこの男から始まったと言っていいでしょう。粗暴ながら愛すべき坂東武者・上総広常(佐藤浩市)です。御家人の身でありながら、自身に匹敵する力を持つ広常を脅威と見なした頼朝は、梶原景時(中村獅童)を使って武士たちの前で誅殺。自分に逆らったらこうなると見せしめに利用したのでした。

 

しかも広常にかけられた謀反の疑いは、まったくの濡れ衣。義時に頼まれ、あえて謀反の企てに参加したふりをしただけなのです。それを逆手に取られ、頼朝の罠に嵌められた広常はあえなく落命。これだけでも非道なのに、さらに胸が苦しいのはその最期です。

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広常を討つことをためらう景時は、広常に双六勝負を持ちかける。この双六に広常が勝てば、景時は違う道を選んだのかもしれません。だが、賽の目は広常に味方しなかった。双六に負けた広常に、景時は意を決して刀をふるう。広常は必死に応戦しようとするも、懐の刀はすでに善児(梶原善)にすられていた。丸腰の広常は、なす術もなく公衆の面前で斬り捨てられる――本人が知らないうちに、一つ一つ退路を絶っていくような三谷幸喜の追いつめ方に、同じクラスになったら絶対敵に回しちゃいけないタイプだと思いました。