「家族の成長物語」として評判を呼んだ『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』
でも著者ブレイディみかこさんが同作で本当に描きたかったのは、英国と日本の子供の貧困に対する意識の違い、そしてそれに直結する教育の問題だったといいます。現在はコロナ休校のあおりを受けて広がった教育格差を補うため、「知人で大学の先生が公民館で始めた補習クラスを手伝っている」というブレイディさん。「中学入学時点でちゃんとした読み書きや、二桁の足し算ができない子供たちがいる」というイギリスの現状を、日本よりひどいと思う人もいるかもしれませんが、これはもちろん「移民」の子供たちも含めたもの。2万人を超える未就学の外国籍の子供たち、その実数さえ把握されていない無戸籍児童など、日本ではただ「見えない存在」にされているだけかもしれません。

 

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「体育座り」は話を聞く姿勢で
意見をいう姿勢じゃない


イギリスで保育士になったブレイディさん。保育の現場ですごく驚いたのは、子供たちに「あぐら」で座らせることだったといいます。

ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ):座り方が悪い子を叱る時は「Open your knees(膝を開きなさい)」。膝を開いて背筋を伸ばす、いわゆる「あぐら」に近い形で座らせるんです。そういう姿勢だと、言葉が出るんですよね。絵本を読んでいる最中に「それどういうことなの?」とか「なんでそういうことしてるの?」って聞いてくるし、保育士も「終わるまで待って」なんて言わず、子供たちとやり取りします。日本は膝を閉じて抱えて、小さく閉じる「体育座り」がほとんどですよね。あれは話を聞く姿勢であって、自分の意見をいう姿勢じゃないと思うんです。日本の教育現場は先生がいろんなことを決めるトップダウン性が強いけれど、イギリスはそれが緩く、先生は「私の話を聞いていればいい」とか「いうとおりにしなさい」とは言わないんです。

 

その著書でご存知の方も多いかもしれませんが、ブレイディさんが保育士になったのは、彼女が言う「底辺託児所」でのボランティアがきっかけです。その背景にあるのは、当時政権を担っていた労働党の、教育でも福祉でもない、財政政策があります。


英国が貧困家庭の幼児教育に介入するのは
かわいそうだからじゃない


ブレイディ:ブレア政権時代に財務大臣だったゴードン・ブラウンが、財政政策の一環として「子供の貧困と貧困の連鎖を断ち切ること」を打ち出したんです。つまり子供は未来の経済の担い手でもあるのに、彼らが社会保障で生きる大人になれば、国の税収は減り社会保障費はどこまでも膨らんでしまう。だから子供の貧困をなくすことは財政政策なんだと。

その時の保育の大改革では、保育士を単に「子供のケアをする存在」でなく「幼児教育の担い手」と位置づけ、「**か月までにはこれができるように」とびっちりとしたカリキュラムが組まれました。そういった政策の根拠は、小学校入学時点で、育った家庭環境によって子供たちの知識や情緒的発育のレベルに大きな差があったからなんです。そのまま学校生活が始まれば格差が再生産されていくことになるから、保育の段階でなるべく同じスタートラインに立てるようにしようと。一部のリベラル層には「おむつカリキュラム」と揶揄され不評でしたが、実際に子供の貧困率もずっと減っていい方向に向かっていたんです。

つまり貧困解消や教育の充実は経済政策であって、「かわいそうだから」やってあげることじゃない。でも日本は湿ったものの考え方が好きで、「かわいそう=シンパシー」のほうが崇高みたいな感覚があるじゃないですか。でもリアルな経済と政治の話として、社会が社会全体のためにやるべきことなんです。