息を殺す生活と、教室に入れない仲間たち

 

転機になったのは、親がフリースクールに連れ出してくれたことでした。

いじめの”後遺症”にはしばらく悩まされました。私は身長が高かったのですが、いじめっ子に授業中、「前の人がデカいから黒板が見えませーん」と大声で言われたから、猫背になって身をかがめる癖がついたり。誰かの悪口が全部自分のことに聞こえ、心を閉ざしてしまったり。

そんな状況だったので、フリースクールもしばらくはリハビリのような感じでしたが、そこに通うのはみな同じ不登校の子たち。通じるものがあったのか、自然と打ち解けて心が開けるようになっていきました。

フリースクールで自習を続けると成績が安定し、フリースクールの職員に学校に戻ることをすすめられ、しぶしぶ学校の相談室登校に。ただ学校には先生がいるので、勉強でつまずいたら個別で聞けるようになりました。

相変わらず人目を避ける生活でしたが、相談室にも“教室に入れない仲間”がいて、その存在が励みになっていました。そして、その後も勉強は続け、高校は運よく進学校に入学、さらに公立大学へと進みました。

青春、という言葉が遥か遠くに感じるような、とにかく息苦しい日々でした。ひっそり、息を殺す。とにかく毎日をやり過ごす。そんな学生生活でした。

 

「不登校」になるのは「普通の子」だった


そんな不登校生活を経て、感じることがいくつかあります。ひとくくりに不登校と言っても千差万別、いろんな人がいると思いますので、ここから挙げることはあくまで一個人の意見であることを申し添えておきます。

まず、不登校になること自体何もおかしくないということです。
フリースクールや相談室で不登校仲間と過ごしましたが、みんな、普通の子たちでした。見た目が派手なギャルみたいな子もいるし、お笑いキャラの子もいる。みんな学校に通う子たちと変わらず、いろんな子がいました。ひとつ共通点があるとすれば、とても感受性が豊かで、敏感な子が多い、ということでしょうか。