勉強だけは続けるよう促してくれたことも、大人たちに感謝していることのひとつ。もちろん勉強が全てではありませんが、続けたことで進学校や大学という選択肢ができました。可能性を狭めないためにも、勉強を続けることが個人的には大切だと思います。

 

勉強以外でも、何か打ち込めることがあると、人生に目標ができたり、生きがいに繋がったりします。学生の期間は、やはり将来への準備期間だと思うので、何かしら続けることを大人がサポートしてあげるといいのではと思います。

そして、不登校でも対等に接してくれたことも、支えになりました。腫れ物のように扱われると、かえって苦しくなってしまうもの。フリースクールでは生意気言って怒られたり、普通の子として接してくれる、何気ない日常に救われたものです。

ちなみに、私は修学旅行に行けなかったのですが、相談室の生徒の分のお土産を買ってきてくれた先生がいて、忘れないでいてくれることがすごく嬉しかった記憶があります。

 

「いじめられた側」が選択肢を奪われることに疑問

 

昨今、いじめが大きな問題として取り上げられるようになってきました。
逃げてもいい、不登校という選択肢もある、みたいに言われることもありますし、実際そうだとも思います。しかし、いじめられた側が選択肢を奪われるのはやはり釈然としません。

フリースクールや相談室という生活でも進学はできましたが、教室で他愛もない会話をしたり、行事を楽しんだり、そういう日常を味わえなかったことは、今でも心にしこりとなって残っています。

学校に行かない、という決断の先のサポートが充実していくこと自体は歓迎ですが、やはり「いじめた側」への教育がもっとしっかりなされて、「本当は学校に行きたかったのに、行けなくなってしまった」という人がいなくなって欲しい、と思います。


文/ヒオカ
構成/金澤英恵
 

 

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