インターネットもない時代に、スーツーケースひとつでアリゾナへ


NOKOさんが取った作戦。それは「アメリカで英語を勉強して、外資系航空会社のCAになる」という大胆なものでした。

「もう40年も前のことですが(笑)、金沢には成人式のお着物に力を入れる文化がありました。普通のお家でも嫁入り道具のつもりで小さい時から貯蓄して、100万円近くかけることも珍しくありません。そこで私は親に頭を下げて頼みこみました。成人式の着物もお祝いもいらない。短大も行かない。だからそのお金を私に頂戴、って。

そして高校時代に短期ホームステイをしていて交流が続いていたお家に手紙を書きました。アメリカで英語の勉強をしたい、なんとかもう一度、住まわせていただけないでしょうか、と。今思うと、信じられないような有難いお話ですが、アリゾナ州のそのホストファミリーが、すぐにいらっしゃいと言ってくださって、そこからなんと1年半、居候です。お家賃は取らないで置いてくださいました」

まさに行動力の賜物です。インターネットも普及していない時代に、頼りは手紙だけ。高校時代の数週間だけの縁を繋ぎ、100万円を手に、一人新天地に飛び込んだNOKOさん。英会話は当然、簡単な挨拶程度。そんな状況でもホストファミリーのお母さんの助けを借りて学校探しからスタート。近隣のアリゾナ州立大学附属語学学校を訪問、なんと通えることになりました。

当時のアリゾナは今よりもずっとのどかで、砂漠のような気候。日本人が気楽に来るようなところではなく、学校にも日本人はNOKOさん一人だったと言います。ベビーシッターのアルバイトや家の手伝いをしながらお金を節約、全てはCAになるためです。金沢に帰っても、もう自分には何もない、絶対にCAになるしかないと言い聞かせる日々でした。

「英語はもちろんメキメキ上達して、最後は夢も英語で見ていました。でも一番の収穫は、度胸がついたことと、『行動すればなんとかなる』と心から思えるようになったこと。それからホストファミリーには4人姉妹がいたのですが、本当に皆が分け隔てなく接してくれて。周りに物凄く感謝する気持ちが芽生え、自分もいつか助けを必要としている人の役に立とう、と誓いました」

写真/高山浩数さん

日本に帰国したNOKOさんは、残りわずかなお金をすべて投じて東京のCA受験スクールに通います。募集情報を逃さず集めることと、CA受験のテクニックを身につけようと考えたのです。お金の残りを考えると金沢に帰るべきでしたが、受験しやすく情報が集まる環境での短期決戦に勝負をかけたNOKOさん。

 

「4畳半のボロアパートに住んで、学校に通いました。そこには夢を追う若者、大学生などが住んでいて、毎日夢を語り合ったり、銭湯にいったり、青春でしたね」

厳しい授業で怒鳴られてもめげずに最前列で授業を受け続けたというNOKOさん。受験のために用意できたのも紺のワンピース1枚だけ。「お金がないし、何がなんでもすぐに合格してやる!」という鬼気迫った生徒で、お嬢様揃いの学校で多少浮いていたとか。その甲斐あって、初めて受けた外資系航空会社では最終試験まで進み、補欠になったそう。悔しい気持ちの中にも、英語力を誉められ手応えをつかんだというNOKOさんは、さらに勉強に邁進、ついに国内大手航空会社の合格を掴みます。

「合格した時は、天にも昇る気持ちでした。絵に関連した仕事には就けなかったけれど、CAも小さい頃からの憧れの仕事。田舎からなんの武器もなく出てきた私が国際線のCAになれるなんて。無謀だったかもしれませんが、やっぱりアメリカに飛び込んで生きた英語を学んだのが良かった。凡人でも、お金がなくても行動すれば道は拓ける。行動するかしないか、勝負はそこなのかなって思います」