ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に向けて、新しいスタートを切った山本草太選手。その表情はとても晴れやかでした。けれど、ほんの数シーズン前は、アスリートとしてやっていけるのか光が見えない時期を過ごしたことも。
「自分を追い込みすぎていた」というどん底から、「スケートを好きだという気持ちを何より大事にしよう」と思えるようになった道のりを振り返っていただきました。
自分というものを表現できる場所はここしかない
――では、ここからは改めて競技についてお話を聞かせてください。山本選手は怪我で休養を挟んだのち、2017-18シーズンから競技に復帰。そして北京五輪に向けてこの4年間、戦ってきました。おそらくこの4年は、怪我とはまた違う種類の苦しさと戦いながらの4年間だったと思うのですが、いかがですか。
そうですね。怪我をしている最中は、この怪我さえ治ればまた絶対にトップに戻れるという気持ちがあったんですけど。まだボルトは入っているものの、とりあえず完治した状態で競技に戻ってみたら、やっぱり休んでいた1年半のブランクは大きかったんだなというのをすごく感じました。
その間に他の選手のみなさんは僕が味わえなかった苦しさや経験を積んで競技をやってきている。その差を埋めるのは大変だったし、今も正直ハンデを背負っている実感はあります。でも同時に自分というものを表現できる場所はここしかないという強い想いもある。だから、あきらめずにがんばろうという気持ちですね。
どん底の自分を支えてくれたのが、スケート仲間だった
――特に見ていて最も苦しそうだったのは、2020-21シーズンです。全日本で9位に終わり、翌年の国体では「こういったレベルまで落ちたんだな」「アスリートとしてやっていけるのかな」と苦しい胸の内を吐露されていました。
そのシーズンは以前と比べ物にならないぐらいの練習量で、もうこれ以上やることはないというくらい自分を追い込んだシーズンでした。でも、結果が伴わなくて、本当に悔しかったんですけど、今こうして振り返ってみると、やっぱり失敗の練習が多すぎたな、というのはありますね。
――失敗の練習?
失敗してもいいから、体が動かなくなるまでひたすら追い込む、っていう練習内容だったんです。でもそうするとどうしても自分のメンタルがぐちゃぐちゃになる。だから、今は追い込むことに重きを置くのはやめて。なるべくミスをしないように、1本1本集中して取り組むスタイルでいこうと。
もちろんその中でも失敗はたくさんあるんですけど、そのときもあまりメンタルを引っ張られすぎないように。どうして失敗したのか冷静に分析して、淡々と練習をこなしていけるようになりました。
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