消えた「figure skater」の文字。怪我で閉ざされた平昌五輪への道


いよいよ始まったフィギュアスケートシーズン。見どころを語り出せば尽きませんが、個人的に大きな関心を寄せているのが、初の世界選手権代表入りを目指す山本草太選手です。

2019年10月12日に行われたフィンランディア杯、FSでの山本草太選手。 写真:Newspix24/アフロ

山本草太選手は、大阪府岸和田市出身、現在は中京大学に通う19歳。最初に山本選手のことが気になったのは、今からもう5年前、2014年の全日本選手権のFSでした。まだ14歳ながら演技中盤、カメラに向けてポーズを決める舞台度胸に、この子はきっと大きくなると心が躍りました。その後も高校1年生でユース五輪金メダルを獲得するなど華々しい活躍を遂げましたが、2016年3月、頂点を目指した世界ジュニア選手権の直前に右足首を骨折。さらに、翌シーズンの復帰戦を前に疲労骨折に見舞われ、最終的にスケーターの命である脚に3度の手術を施す事態に。

 

当時のことを思い出すと、今でも胸が痛くなります。それまで人なつっこい笑顔が溢れていたTwitterの更新は途絶え、プロフィールに載せられていた「figure skater」の文字は消滅。おそらく山本選手本人が外したのだと思いますが、その気持ちを考えると、ただ怪我の回復を願うしかない私の胸すら苦しくなりました。もしかしたらもう山本選手が氷の上に立つ姿を見ることはできないのかもしれない。そんな暗い予感に心が支配されそうになったこともありました。

でも山本選手は負けなかった。大怪我を乗り越え、再びリンクへ。平昌五輪に向けて再出発の一歩を踏み出しました。当時のコンディションを考えれば代表入りは絶望的。本人も「普通ここまで来たら諦めるんですけどね」と努めて明るく語っていました。それでも諦めなかったのは、可能性がゼロではないから。本気で目指した場所だったから、一時は出場を有力視されていたからこそ、結果がどうであれ、自ら身を引くことはできなかった。

五輪に向けての第一関門・中部選手権ではまだ怪我が完治しておらず、すべてのジャンプが1回転。スケーティングもかつての伸びやかさは甦ってはいません。だけど、そこには滑る喜びがあった。人の心を動かす輝きがあった。決して諦めず、最後の最後まで滑り切る姿に、瞼が涙で焼ける想いでした。

怪我をおして出場した2017年12月22日の全日本選手権、男子SP。 写真:YUTAKA/アフロスポーツ

その後も魂の演技で希望をつなぎ、最終選考である全日本選手権へ出場。運命を決めるFS、『ジキル&ハイド』の荘厳な旋律に乗せて、山本選手は滑り出しました。中盤から流れる歌声は『THIS IS THE MOMENT』。和訳すれば「今こそそのとき」です。私たちには想像もつかないような苦しみ、苛立ち、絶望。そしてそれでも消えなかったスケートへの愛。そのすべてをぶつける「今こそそのとき」にもう呼吸ができないぐらい心が打ち震えました。ジャンプだけを見れば、トップ選手の構成ではなかったかもしれません。でも、そういうことでは測れないフィギュアスケートの感動を、あの日、山本選手に教えてもらいました。

 
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