子供の頃からヘアメイク以外の
職業は考えられなかった

 

小学校の卒業文集に『夢は、ヘアメイクになること』と書き記した。その夢を実現させ、プロのヘア&メイクアップアーティストとして活躍する岡野瑞恵さん。今では、多くの女優さんのメイクを手がける他、数多くの広告や雑誌で活躍している。

「小さな頃から、女性がきれいになることに興味がありました。当時の歌番組で、聖子ちゃんなど、元祖アイドルたちを見て、〝洋服とヘアスタイルのバランスがよくて可愛い〟とか〝このアイメイクは目が大きく見える〟とか、そんなことばかり気になって……。それが楽しくて、ファッションやヘアメイクに関わる仕事に就きたいと、子供心に思っていました」

中学・高校でその夢は、さらに明確なものに。ある広告に心を奪われ、ヘアメイクの道へまっしぐら。

「とにかくずば抜けておしゃれだったのが、大手化粧品メーカーの広告です。〝私のやりたかったのはこれなんだ! 絶対にこの会社でヘアメイクがやりたい!〟 その思いで胸がいっぱいになりました。いてもたってもいられず、本屋に走り、少ないお小遣いをはたいて、雑誌や本を買いあさり、モデルにほどこされた美しいヘアメイクと、それを担当したヘア&メイクアップアーティストの名前を確認しては、憧れが募る日々。ある日、立ち寄った本屋で、その会社の美容学校があることを知り、『どうやったら入学できるんですか!?』と、考えるより先に問い合わせの電話をしていました。そのときには既に、その会社でヘア&メイクアップアーティストとして働き、ミニクーパーに乗る大人の自分の姿が頭の中で完成されていたのだから、今思えば、ちょっとませた子供ですよね(笑)」

憧れの大手化粧品会社での
エキサイティングな毎日

中学も高校もすっとばして、早く美容学校に行きたくてウズウズしていた、という岡野さん。その原動力の源は〝心の底からやりたい〟と思う、気持ちの強さに他ならない。美容学校を卒業し、都内のヘアサロンに就職。美容師免許を持つ人のみに入学資格があり、しかも定員20名という狭き門の『サブファ』というプロフェッショナル専門の美容学校を経て、念願の会社の採用試験を受ける。結果は、見事合格。

「入社したのは、23歳のとき。アシスタントから始め、広告や東京コレクションのヘアメイク、28歳でパリコレも経験しました。さらに、メインブランドの商品開発を担当させてもらうことも。中でも印象深かったのは、海外の一線で活躍するアーティストの商品開発に携わったことです。元々好きなブランドでしたから、実際にパリのオテル・リッツでご本人と意見交換させていただいたときは、とても興奮しました。会社員人生では、たくさんのことを経験し、それらはすべて、今の私にとって糧となっています。ヘアメイクに関わることだけでなく、お茶の当番や電話対応、資料や報告書の作成など、一般的な事務仕事も教えていただき、社会人としての基礎を学ぶこともできました。今の私があるのは、この経験のおかげ。本当に感謝しています」