親の収入で生じる格差は「仕方ない」ことか


今まで、いろんな場面で教育格差が生まれること、貧困家庭は進学の選択肢が限られることは「仕方ない」と言われてきました。ドリームポニーも、佐奈や小鳥以外のメンバーは「それは仕方ないことだ」といった空気がありました。

 

ですが、そうやって「仕方ない」と格差を放置してきたからこそ、生い立ちによって選択肢が限られてしまう不条理はなくならなかったのです。選べない生い立ちゆえに悔しい思いをし続ける子どもも減らなかったのです。

親がお金を払った分だけ、教育における投資を受けられるのは当然という意見もあります。しかし子どもからすれば、親が稼いでいようが貧困だろうが「関係のない」話です。選べない生い立ちによって受けられる教育が変わってくるなんて、理不尽でしかありません。

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ドラマ『ユニコーンに乗って』より/撮影:加藤春日 
©TBS スパークル/TBS

別のドラマで、企業の公正な競争を守るために奮闘する公正取引委員会を描いた『競争の番人』(フジテレビ系)というものがあります。そのドラマで描かれるように、公正な、つまりフェアな競争を守るためには血のにじむような努力が必要です。

教育においてもそれは同じではないでしょうか。全ての人がフェアに教育を受けること、フェアに受験で競争することを実現するには、きっと途方もない努力が必要なのだと思います。佐奈たちの奮闘ぶりに、その一端を垣間見ている気がします。

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ドラマ『ユニコーンに乗って』より/撮影:加藤春日 
©TBS スパークル/TBS

「貧困家庭に生まれたら、学びは諦めないといけない」
それは、本当は「仕方ない」ことじゃない。
もしかしたらそれは、変えられる余地のある現実なのかもしれない。
『ユニコーンに乗って』は、私たちにそう問いかけているように思えるのです。
 


文/ヒオカ
構成/金澤英恵
 

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