写真:鶴来雅宏/アフロ

東京オリンピックの裏金問題をめぐり、大会組織委員会の元理事や企業幹部が逮捕されるなど検察当局による捜査が進んでいます。真相が明らかになるにつれて、裏金問題を徹底追及すべきとの声は日増しに大きくなっているようですが、一方で「もう終わったこと」だとして、過剰反応すべきではないとの意見も出ています。

一つの問題に国民の関心が集中しすぎて全体像が見えなくなるのは良いことではありませんが、日本社会はこれまで過去の問題をうやむやにするばかりで、検証作業を徹底せずに国家の運営を続けてきました。こうした風潮が日本の停滞を招いた可能性は高く、終わったことだからといって、見て見ぬフリをするのはもう許されません。筆者は今回の出来事は日本が本当の意味での近代国家になれるかの試金石だと考えています。

 

オリンピックについては、開催準備の段階から不透明性について指摘が行われてきました。しかし、こうした動きに対しては、「国民全員が期待しているイベントを台無しにする」「今は批判するべきタイミングではない」といった声高な意見が寄せられることも多かったのが現実です。

しかしながら、こうした主張が行われる社会というのは、たいていの場合、当該イベントが終わっても検証が行われることはありません。

案の定、オリンピックが終了すると「もう終わったことだから」という意見が出てきている状態です。実際に統計を取ったわけではないので確定的なことは言えませんが、開催前に「疑惑を追及すべきではない」「終わってからにすべきだ」と主張していた人の多くは、現時点では「終わったことをほじくり返すべきではない」と主張しているのではないでしょうか。

近代的な社会と、前近代的なムラ社会を分ける最大の違いは、事後検証が徹底的に行われるかどうかです。

検証を行うということは、誰がその事案に関与し、どのような責任が生じたのかについて明確化することを意味しています。このように説明すると、一部の人は「個人攻撃につながりかねない」と反論してくるのですが、それは完全な誤りです。

 
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