宗教と政治をめぐる問題がなかなか収束しません。開き直りとも取れる発言をする政治家も出てきており、状況はむしろ混迷の度合いを深めているといってもよいかもしれません。宗教を信じることについては、信教の自由という憲法で保障された権利があり、他人や国家が立ち入ることはできません。しかしながら、信教の自由があるからといって、こうした問題を解決できないというのも、それは違うと筆者は考えます。
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今回の一件で、宗教団体と関わりがあった政治家の一部は、誰がどの政治家を支援するのかは自由であり、政治家は支援者を選べないといった説明を行っています。憲法で保障された権利が云々という話になると、何やら難しい問題のように思えてきますが、話はもっとシンプルです。
国民がどの宗教を信仰するのも自由ですし、国民が誰に投票したりするか、あるいは支援を行うのかも自由です。結果として宗教団体が、特定の政治家を支援するといった行為も行われることになるでしょう。政治家にとっても、誰から支援を受けるのか決めるのは自由ですし、逆に誰が自身を支援してくれるのかは事前には分かりません。
ある宗教団体が反社会的な行動を行っていたとして、その活動を停止させる措置を実施したり、支援を受けた政治家にペナルティを科すといった話になると、信教の自由との兼ね合いから、慎重な対応を求める声が出てきます。確かに、こうした措置を発動すれば、恣意性が入り込む可能性がありますし、何をもって反社会的であるかを認定するのも、簡単なことではありません。
しかしながら、信教の自由という原理原則が存在するからといって、反社会的な団体から支援を受けてもよい、という理屈にならないことは明らかです。
すでに多くの政治家が何らかの形で団体と関係を持っているため、この問題はかなり泥沼化しそうな状況です。一部からは、反カルト法の制定が必要といった強硬な意見も出ているようですが、筆者は段階を踏んだ解決が必要だと思っています。
多くの国民が感じているのは、反社会的な団体と政治家が裏で密接な関係を構築していたことに対する不信感です。これに対して、明確な説明がないまま、信教の自由などと説明されても納得ができるわけがありません。
最初に社会が取り組まなければいけないのは、やはり徹底した情報公開でしょう。
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