無駄のようで、実は無駄ではないことも
一見、無駄だと思いがちな過ごし方をしていたのだとしても、無駄ではないこともあります。
たとえば、「よく眠る人」と「寝る間を惜しんで、仕事のための努力している人」とでは、仕事という観点では、後者のほうが成功する可能性は高まりますが、前者のほうがよく寝ている分、健康で若々しいこともあり得ます。
また、友達が多い人は、人間関係を築くために時間と労力をかけてきています。特に「親友」と呼べるような心が通じ合える関係は、一朝一夕ではできるものではないですしね。
専業主婦だって、たとえ社会的な活動はしていなくても、子育てに時間と労力を費やすことで、子供はすくすく育っていたり、愛情を込めて家庭を整えてきた分、家族円満になっていたりします。
遊んでいるのがダメというわけでもありません。「楽しい時間」を過ごすことに労力を使ってきた人は、その分、素敵な思い出がうまれ、人生に彩りがあるでしょう。
物質主義の価値観を抱いていると、仕事の出世や貯蓄、結婚など、「目に見える形として得られるもの」ばかり見てしまいますが、実際は、それよりもっと大事なものを得られていることもあるのです。
特に、「他の人が持っていて、自分が持っていないもの」ばかりに意識を向けてしまうことはありがち。でも、今まで過ごしてきた時間によって自分だけが得られているものが、何かしら必ずあります。
それにきちんと目を向けることも大切ですよね。
私たちの今の人生は、「これまで自分が時間と労力を費やし、さらに命を削った結果」だと思うと、感慨深いですよね。
「今後、どんな時間の過ごし方をするのか」について、一度立ち止まって考えてみませんか? 5年後、10年後に、納得できている自分でいられるといいですね。
前回記事「都市部、郊外、田舎...結局、どこでの生活が快適なのか。すべての願いを叶える「理想とする住み方」とは?」はこちら>>
Comment