「両親は高齢で遠方に住んでいることもあり、本気で離婚を考えていることは言っていませんでした。なので、電話でまずそのことを告げるときは辛かった。でも母は、黙って聞いてくれたあと、『私はずっと、あなたの夫は変な人だと思ってた。今からリスト、送るわ』と言って、箇条書きでこれまでの10数年の関わりの中でレーダーにひっかかったポイントを送ってきたんです(笑)。ずっと書き溜めていたらしくて、知っているものも知らないものもありました。母がこれまで何も言わずぐっとこらえてくれていたことがわかり、心配をかけたんだなと」

リストには「買い物で重い荷物を亜弥と義母に持たせて自分は手ぶら」「小さな子が3人いたら、軽自動車を買うか、自分が協力するかしないと買い物や通院がままならないのに頼んでも車を買わない」「休みの日は自分ありきで考えないでという謎の主張」「札幌から義両親がヘルプに来ても、孫と過ごせて嬉しいだろと言わんばかりの態度」など、ずらりと並んでいたそう。

娘が苦労しているのではないかという母心と、娘夫婦と言えども他所の家庭、口を出してはいけないという葛藤が感じられるエピソードです。それがメモをためる、という形になったのでしょう。

さて、離婚を切り出された夫は、シンプルに養育費のみ、慰謝料は不要、という亜弥さんの要求に怒り心頭。「そんなに離婚したいなら、してやる。ただし、子どもは置いていけ。絶対に渡さないぞ」と言ったそう。

「呆れてモノも言えませんでした。3人のおむつを1回も変えず、ミルクもあげず、休日もロクに一緒に遊ばない人が何を言うんでしょう。引き取ったところで、どうやって育てるのか……そんなに子どもが好きならば、今まで少しでもできることはあったはず。子どもと離れることができない私への嫌がらせでした」

彼の両親はもちろん自分の子に味方するため、物別れに終わった6者会談。しかし1カ月後、彼はその間にさまざま検索して、裁判をすれば自分の行動では親権は母親に渡ると理解したらしく、主張は取り下げたそう。しかし養育費は、彼の収入から3人分と考えると10万円以上が妥当でしたが、1人25000円、つまり月額75000円という主張は譲りませんでした。

 

「この頃にはとにかく早く別れて、毎日平和に暮らしたいという思いが強く、承諾しました。しばらくは実家に身を寄せてお金を貯め、数年でなんとか独立する計画でした。ところが離婚して半年後、『生活が苦しい。5万円にしてくれ』、さらには半年後『3万円でなんとか』と。もちろん抗議をしましたが、私の甘さ、世間知らずが本当に悔やまれるところ……弁護士も入れておらず、公正証書も作成していなかったんです。つまり、泣き寝入りです。

これから離婚を考えている方、口約束に頼らず、養育費などは正式な文書に残しておいてください。そうすれば、給与を差し押さえるなどの手段も取れる可能性があるんです。私は、とにかく早く離れて暮らしたい、もう諍いは嫌という気持ちが強くなりすぎて、正常な判断ができませんでした」

 

そして離婚から3年経った今、なんと養育費は驚くべき値段にまで値切られてしまいます。