以前の日本社会においては、ビジネスというのは純粋に商売の世界であり、儲かるかどうかが全てでした。社会の仕組みも単純で、良い製品やサービスを安く提供すれば、ビジネスが成立していたのです。ところが近年では、価値観の多様化や消費の成熟化が進み、消費者は生活必需品にお金を出すだけにとどまらず、共感や生き方といった、より抽象的な次元の商品にもお金を払うようになりました。

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スポーツや芸能の分野は特にそうですが、競技で結果を残せれば良い、ドラマや映画で立派な演技ができれば良い、というわけではなくなっています。プライベートも含めた、本人の生き方や発言そのものが商品として流通し、多くの人がそれを消費しています。

こうした状況では、たとえプライベートであったとしても、その人の生き方というものが、自身の商品価値あるいはキャリアに直結するようになってしまったのです。自身を商品にする人は、望むと望まざるとにかかわらず、自身の生き方について、つまびらかにせざるを得ません。

 

これは良いことなのか、悪いことなのか単純には判断できませんが、一連の変化が社会のIT化と密接に関係しているのであれば、この流れを止めることはほぼ不可能でしょう。

これからの時代は、単純に与えられた仕事をこなすという職業人としての能力を持つだけでは不十分であり、公平性や透明性、外部に対する説明責任や共感など、業務以外の能力も兼ね備えた人物でなければ、高い地位に就くことは難しくなりつつあります。

一部の人は、こうした社会の変化について、息苦しい世の中であり「これでは上を目指す人がいなくなる」と批判しています。しかしながら、筆者は必ずしもそうだとは思いません。社会全体としてチェックの目が厳しくなり、それに耐えられる人物が相応の地位に就くことは、業界全体とってよい面もあるはずです。

以前と比べれば、色々な意味で厳しい社会かもしれませんが、逆に考えれば、仕事さえできれば何でも許されるというのは、単なる甘えでしかなかったと言い換えることもできるでしょう。

 


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