いつも通りの夏の日曜日に、突然の脳卒中で倒れたのは、48歳2児の母でありフリーライターの萩原はるなさん。救急車で急性期病院に運ばれ、予兆も準備もまったくないまま入院生活が始まりました。

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なぜ自分に、こんなことが起こったの? 後遺症は? 突然の事態に自分なりに向き合いながら、治療やリハビリに励んだ入院生活が終了。その後の生活についてレポートします。今回は、退院後の仕事にまつわるお話です。

 

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これまでのような仕事は難しい。ならば……!!


フリーライターとして長年生きてきた私にとって、家族との生活と同じくらい重要だった仕事復帰問題。7月に私が倒れてすぐ、同じくフリーのエディター・ライターである夫が、私の各担当者に連絡を入れてくれていました。私の状況と復帰見込み(当時は、早くて10月くらいと思われていた)をとりあえず伝えて、「萩原さんと連絡がつかない!」という状況にならないようにしてくれたのです。

そして、8月にリハビリ病院へ転院。9月には以下のようなメールを、自分で各所に送っています。

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といっても、送ったのは倒れた当時にやりとりをしていた方々が中心で、伝えそびれていた方もいました。10月に入ったころ、そんな編集者の一人から、仕事依頼のメールがきました。内容はレストラン取材。事情をメールで伝えたところ、取材はその担当者が行うので、録音を聞いて原稿を起こすことはできないか、と言われました。

テープ起こしは病室では無理そうだったので、夫に協力してもらい、無事初原稿を提出。担当者に送る前にこれまた夫に読んでもらって、「これまでの原稿と遜色ないクオリティ。大丈夫!」と言われたときは、本当にホッとしました。

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入院中は枕を台に、左手一本でタイピング。キーボードの配列はわかっているので、慣れてくればまあまあの速度で打てる。ただ、やたらと疲れる。右手君は完全にオブザーバー。

というのも、脳の損傷による「高次脳機能障害」のやっかいなところは、「自分では、以前と違う自分の変化に気づかない」ことだと知っていたから。客観的なお墨付きをもらうまでは、自分が信用できないのです。

ただねえ……、利き手でメモは取れないし、言葉もたまに詰まるし、なにより杖を使ってゆっくり歩くことしかできない私。正直、以前のような仕事は難しいだろうなあ、と覚悟を決めていました。

そして、目が冴えてしまったある日の夜中、病室の天井を眺めながら「脳出血ライターとして、自分ができることをやろう」と決意。倒れた日から、「これは絶対ルポを書かねば」と思っていた私は、メモや写真を積極的に残してきました。「いつか、絶対役に立つ」と思ったので、入院中は、左手で毎日欠かさず、日記も書いています。

右手と右脚は不自由になったけれど、幸い原稿は書ける。ならば、脳卒中の体験記を必要としている人たちに届けよう。

「それならすぐにできる」と思った私は、とても気が楽になりました。