いつも通りの夏の日曜日に、突然の脳卒中で倒れたのは、48歳2児の母でありフリーライターの萩原はるなさん。救急車で急性期病院に運ばれ、予兆も準備もまったくないまま入院生活が始まりました。

 

なぜ自分に、こんなことが起こったの? 後遺症は? 突然の事態に自分なりに向き合いながら、治療やリハビリに励んだ入院生活が終了。その後の生活についてレポートします。今回は、退院後の仕事にまつわるお話です。

 

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退院3ヵ月後、戻ってきたわが家の日常


12月10日に退院してから1ヵ月、2ヵ月とたつうちに、不自由な身体での日常生活もなんとか慣れてきました。夫と子どもたちも、すぐに「私がいる日常」が当たり前になっていった様子。

最初こそ、私のことを気遣って、何かとフォローしてくれた家族たち。けれどもあっという間に、以前と同じように、何かと私に甘えるようになっていきました。

気づけば、「ゴミは捨てなさい」「なんで靴下がここに?」「早く着替えて学校に行く用意をしなさい!」と、まるでデジャブのようにキレまくる日々。

私は入院中からずっと、小学生の娘と息子を、「できればヤングケアラーにはしたくない」と思っていました。だけど、もう少しみなさん、私のメンタルをケアしてくれてもいいんでは??  

退院後すぐの保護者会は、行く気満々だったものの断念。コロナ禍で学校に行く機会が激減し、イマイチ親しくなれていない息子のクラスメイトの親たちに会うのは、正直、少し気が重いという気持ちもあった。
冬休みに入った小学校4年生の息子は、夏も冬も同じ服装。大嫌いななわとびは、私が付き合わない限りやろうとしない。足は速いし多動ぎみなのになぜ?「だって、景色が変わんないじゃん。つまんない」。なるほど。

夫はというと、最初こそ電車移動に付き添ってくれたり、ごはんを作ったりしてくれていたものの、徐々に「なんだ、意外と大丈夫じゃん」と思った様子。家にいる時間がみるみる少なくなり、同じマンション内にある事務所に引きこもりがちに。すぐに入院前と同じ、“ほぼ家庭内別居”状態に戻ってしまった。

ただ、利き手でない左手と自由に動かない右手では、洗濯物を干すのと食器洗いは本当に大変。じゃんじゃん食器が割れて、ついに食器棚がスカスカになってしまった(悲)。倒れる前には、ほしい食器があっても「棚に入らないからガマン!」と諦めていましたが、今や買い放題です!

というわけで、洗濯と洗い物は夫が担当することになりました。

以前は完全に子育て戦力外で、ベンチウォーマーですらなかった夫。それが私がいない日々を経て、すっかり「小うるさいお父さん」になっていました。子どもたちにキレて舌打ちを繰り返す夫は、ある意味新鮮です。

そうかあ、やっと子育てが「人ごと」じゃなくなったんだな、と妙に納得。今までは心が広かったわけではなく、単なる「お客さま」だったのでしょう。