「好きな人ができた」という残酷な告白に、夫は?
環境が変わり、夫の予想もしなかった一面を見たことで気持ちが揺らぎ、他の男性に好意を持ってしまった冴子さん。
長い夫婦関係で、環境の変化で相手の人格まで変わってしまったように感じるのは珍しい話ではありません。駐在員だった夫も、慣れない環境で仕事をして、ストレスや不安もあったのだと思います。それを発散することができずに、周囲に嫌な態度を取ったり、妻をなじったりしてしまったのだろうと第三者ならば予想できます。それが一時的なものである可能性もあるし、隠していた本質なのかもしれません。
しかし冴子さんはそれを許容することができず、そこに登場した新しい男性。なんと8歳も年下で、当時はまだ22歳。大学を卒業したばかりで、タイで英会話の講師をしていました。
「8ヵ月悩み、夫に『好きな人ができてしまった。離婚してください』と土下座をしました」
取材中の様子や話し方を見ると、常にこちらを気遣ってくださり、極めて常識人に見える冴子さんですが、「道ならぬ恋」に突っ走ってしまったのは、タイミングの妙もあるのでしょうか。
おおいに揉めたあと、半年で離婚が成立、冴子さんは慰謝料として独身時代に貯めた貯金300万円を1人目の夫に支払いました。
「のちに二人目の夫になるアンソニーは、23歳になっていましたが年齢よりもさらにナイーブで純粋な人でした。まだ私が結婚していた頃、アンソニーに惹かれてしまうけれどコソコソするしかない自分自身に嫌気がさして、『もう会うのはやめよう』と言ったこともあります。
するとアンソニーはボロボロ泣いて、それは無理、僕が離婚してくれるように頼みに行く、と。そんなことを言える立場でもないし、最低な行動だとわかっていました。でも、間違っているのに、気持ちはそうしたい、と思ってしまう。彼が全力で私を求めてくるので、私は、腹をくくって、間違っているけれども離婚してほしいと頼みました」
冴子さんとアンソニーさんの行動は、やはり世間知らずで幼稚だったと言わざるをえません。しかし取材で話を聞いていると、冴子さんにはそれがわかっていたようです。それでもそうしてしまうほどに、彼女は前夫に失望し、自分の存在価値に自信がなく、恋愛によってそれを埋めてしまったということのようでした。
離婚後、元夫は駐在を続け、冴子さんは帰国。アンソニーさんも仕事を辞めて、それまで何の縁もなかった日本にやってきました。幸い英会話講師の仕事は日本でもすぐに見つかります。冴子さんも派遣の仕事を探し、2人は同棲を始めました。
「アンソニーは、年下というのもあるかもしれませんが、とにかく私を対等に扱って会話をしてくれました。議論好きで、『冴子はどう思うの? 話して』と情熱的に目をのぞき込んでくる。深い話をすると、分かり合えたという実感がありました。身勝手で最低な理由で離婚したことが、大学時代の友人には広まっていましたから、友人とも疎遠でした。日本の友人関係がほとんど壊滅、彼も日本に知人はゼロ。精神的にも物理的にも、お互いが頼りでした」
この頃の2人は、共依存とも呼ぶべき状況だったのかもしれません。そして3年後、2人は結婚します。冴子さんが34歳、アンソニーが26歳のときでした。
果たしてこの結婚はうまくいくのでしょうか? 取材は核心に迫ります。
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