好き勝手に生きるために「規範」を立てる


「好き勝手」のイメージはそれこそ人それぞれで、日がな一日遊んで暮らす意味に捉える人も多いと思いますが、池田先生の考える「好き勝手」はその手のものとは一線を画しているようです。

「好き勝手に生きるということは、ムチャクチャ生きてもいいということではない。世間の常識に捉われないで、自分自身の規範を立てて、なるべくその規範を守って生きるということだ。規範の立て方は人それぞれで、誰にも通用する正しい規範などというものはない。自分の頭で考えて、自分が最も心地よくなる規範をつくって、その規範をなるべく守ること。たとえばぼくは、午後5時になるまでは酒は飲まないと決めている。酒好きのぼくはそう自分で決めないと、きっと朝から酒浸りになるに決まっているからだ」

ここで、池田先生は自分なりの規範を「守る」ことを勧めていますが、時にはその規範を「破る」ことも推奨しています。なぜ真逆のことをいうのでしょう?

「規範をほぼ守っているからこそ、たまに規範を破った時のエクスタシーは大きいのだ。毎日昼間から酒を飲んでいたら、昼間飲む酒はこんなに旨くない。規範を守るのは、それを破った時のエクスタシーを感じるためでもある」

 


アホな常識と付き合っている暇はない


確かに、何でもやっていい環境だと、自由のありがたみが薄れて刺激を感じなくなってしまうでしょうね。そう考えると、池田先生は本腰を入れて人生を楽しもうとしていることが分かります。

「いずれにせよ。40歳を過ぎたなら、生物学的にはおまけの人生なのだから、世間の常識は無視して、あるいは、なかなかそうもいかないという人も、無視していないふりだけして、自由に生きたほうがいいよ」

 

40歳を過ぎた大人は、常識に従順なふりをして周囲を欺くくらいの狡猾さがあったほうがよさそうですね。70代半ばに差し掛かった池田先生は、「好き勝手に生きる」ことを他人にも勧める理由を、非常に分かりやすく伝えています。

「人生は短い、アホな常識と付き合っている暇はない」