みなさんは「おっさん性」または「おっさん的なもの」と聞いて何を思い浮かべますか? 高圧的で威圧的、立場の弱い人に横柄にふるまうなど、いろんなものがあると思います。小島慶子さんの新著『おっさん社会が生きづらい』では、そんなおっさん性について、驚くほど多角的に論じられています。

「理解できない文化を馬鹿にするしぐさ」であふれた社会。誰しもが持つ「おっさん性」の芽について考える_img0
 


「おっさん性」という人間の“さが”を自覚できるか?


この本は、中年男性について書いたものではありません。「おっさん性」とは、幼児性のように誰の中にもあるもの、と書いてあるように、全ての人が持つ心性について書かれています。

「おっさんは、私だった」

そんな言葉で始まるように、女性である小島さんが自身のおっさん性を自省する部分が幾度となく出てきます。私はこの本を読み終わって、この本は人間の「性(さが)」について書いたものだとも感じました。ではなぜ、その性をわざわざ「おっさん性」と形容するのか?「はじめに」において、著者である小島慶子さんの言葉にこんなものがあります。

「構造的に、年長の男性に様々な権限や権力が集中している」

男性社会である日本において、年長の男性は権力側にいることが多いのです。そんな属性の人ほど、「おっさん」的しぐさをとりやすいのではないでしょうか。女性であっても、年長になり権力を持つ立場になれば、おっさん性を発揮する可能性は十分にあるのです。

 

実際、小島さんも、バリバリと働いていた時に夫が無職に。そして自分が大黒柱になった時、「稼いでる自分は偉い」という思いから夫を見下し、責める気持ちが湧いたと言います。小島さん自身が、自分の中にある「おっさん性」を何度も自覚したというのです。