「スタッフの今日のコーデ」の私服姿にファンの多いエディター・松井陽子さん。記事の中でも松井さんのスタイリングにもよく登場する、「もはや体の一部のよう」という最愛のファッションアイテムの魅力をお届けする連載企画です。

今回訪れたのは、天然の宝石をジュエリーに仕上げる「bororo」(ボロロ)のアトリエです。デザイナーでありディレクターの赤地明子さんにお話を伺いました。


「宝石は地球からの贈り物」―――
あるがままの美しさを愛でるモダンなジュエリー 

Vo.04  bororoのアトリエを訪れて

50歳で出会った「ロックリング」。天然の宝石をジュエリーに仕上げるアトリエを訪ねて_img0
 

大地の奥深くで、悠久の時とともに育まれた宝石。眩いまでの輝き、どこかみずみずしさをたたえた美しい色……。神秘的で地球のエネルギーをたたえた宝石は、古の時代より人びとの心を掴み、愛され続けています。

 

その宝石に幼い頃から魅了され、その魅力に導かれるままに人生を切り拓いてきた女性がいます。bororoのデザイナーでディレクターの赤地明子さんです。

世界中を旅し、採掘される現場にまで足を運んで宝石を探すーー。そんなご自身のことを「旅する宝石商」と例える赤地さん。美しい宝石に出会うべく、まさに旅するかのように切り拓かれてきた人生には、素敵なエピソードがいっぱいありました。

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『bororo』デザイナー&ディレクターの赤地明子さん。穏やかで柔和なお人柄とは裏腹に、宝石を巡る旅のお話はとってもアクティブでアグレッシブ!(笑) そのギャップにもすっかり魅了されました。赤地さんのリング〈クオーツ、シルバー〉¥99000、ネックレス〈ルチルクオーツ、シルバー、K18(チェーン)〉¥154000、ピアス¥57200(bororo)


私と、bororo。人生の節目となる50歳の直前に出会いました

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世田谷区羽木にあるbororoのアトリエ。環七の脇道から歩いてわずか3分ほど。「ここはどこ?」と思わずにはいられない、大きな樹々とモダンな建造物が並ぶ素敵な一画にあります。

50歳になる直前、引っ張られるようにカラーストーンに魅了され、リングを探していたことがありました。その時にヒットしたのがbororoのwebサイトでした。

bororo(ボロロ)――その独特の響きに私の中の記憶がカチッと重なりました。以前にとあるウェブマガジンで取材していただいた際、撮影の日にプレスの方が紹介してくれたあのブランドだと!

その時に見せていただいたのは、ネックレスとリング。モダンで、きりりと研ぎ澄まされていて、でも有機的でどこか暖かい温度感が保たれいて……。なんて魅惑的なジュエリーなんだろう、というのが私の第一印象。その洗練された佇まいが気になって、「海外のブランドですか?」と伺ったところ、「デザイナーは日本人の女性ですよ。ご自身で現地まで足を運んで石を選んでらっしゃって、そのお話もまたすごいんです!」というプレスの方の熱のこもったお話にすっかり興味津々に。

そう、まさにあの時のbororoだというのがとてもうれしくて、「これはもうぜひアトリエに伺って見せていただくしかない!」と前のめりでアポをお願いしたのでした。

初めてアトリエに伺った時にはあいにく赤地さんにお会いすることができなかったのですが、私が気になっているとお伝えしておいたカラーストーンのリングをいくつか用意してくれていました。その中から感性の赴くままに選んだリングは、今となっては私の左手の薬指に定位置を得て、もはや生活を共にしています。それは、以前「今日のコーデ」でも綴ったbororoを代表する「ロックリング」。石は、青リンゴにも喩えられる薄緑色のクリソプレーズです。

その時にアトリエで見せてもらった他の宝石たちも、吸い込まれるような表情を持ち、凛としていてとても強かった。bororoのジュエリーは、どこか石の素顔のような表情が感じられるのに、それでいてちゃんと都会にも合うスマートさも保たれている。おおらかなのに、デリケートで、なんて個性的なジュエリーだろうとつくづく思いました。

私が惹きつけられたクリソプレーズのリングのお話や、他のジュエリーのこと、宝石のこと……。赤地さんに伺いたいことはいっぱいありましたが、それはまたのお楽しみに。そして、その時のお楽しみが今回ようやく叶ったのです。

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幼少期から大好きだった宝石を学ぶため
20代の最後に、意を決してNYへ


「私の祖父が石が好き、祖母は大の宝石好きで、お誕生日のプレゼントにも石をくれるような人たちだったんです。いま思うと不思議ですよね。でも、私の中の宝石愛は彼らから譲り受けたのでしょうね。感謝しています」と笑顔で話してくれた赤地さん。

幼い頃から図鑑で鉱石や宝石を眺めているのが大好き。他の孫たちは誰一人として見向きもしなかったというおじい様とおばあ様からのプレゼントの石を唯一喜ぶ、そんな少女時代だったそう。宝石への愛は変わらぬまま、大学を卒業し、社会人に。webの制作会社で働いている最中に、NY行きを決断することに。

「やっぱりどうしても大好きな宝石に携わりたかったんですね。幼い頃からずっと憧れていたのが宝石商で、ならば宝石鑑定士にならないと、と。日本にももちろん学校はあるのですが、ちょうど30歳になる手前だったので、遠回りもできない。実際に宝石の掘削現場に買い付けに行くのには語学も必要なので、英語は絶対。ならば、ニューヨークの学校に行って、宝石の知識と語学を両方同時に身につけるしかないって思ったんです」。

覚悟はしていても、初めての宝石の知識をすべて英語で学ぶというは並々ならぬ努力が必要なこと。そもそもその学校に集まっているのは、世界各国の宝石商の子女ばかり。家業を継承するために学びに来ている人たちの中で、宝石に魅了されたという理由で入学したというのは少数だったのだとか。それでも赤地さんは宝石を知りたい一心で専門知識を身につけ、晴れて米国宝石鑑定士の資格をアメリカで取得。

そして、それからバックパックを背負い、映像作家の旦那さんと一緒に約2年半をかけて、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ(米北、中米、南米)などなど世界中の宝石の掘削現場を自らの足で訪れ、宝石を買い集めるように。その間訪れたのは、なんとおよそ50ヵ国!

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「学校で知識や技術を身につけ、石のことを自分ではわかっているつもりでしたが、実際に現場を訪れたら打ちのめされるような思いばかりでしたね。知識を身につけたと言っても、それは結局机上のもの。学校の施設にあるような立派な器具はまさか旅に持っていけないので、簡易のもので宝石の良し悪しを見極め、その場で即決しないといけないんです。宿に戻って改めて選んできた宝石を見直して、騙されていたことに気づくこともありましたよ。悔しい思いもたくさんして、いろんな勉強をさせてもらったんだとつくづく思いますね」。

現地で出会ったバイヤーさんたちを捕まえて色々教えてもらいながら、経験を積んでいったという赤地さん。直にやりとりをしながら得た経験は、宝石の知識だけでなく、確かなネットワークとして今につながっているのだそう。コロナ禍でご自身が買い付けにいけなくても滞ることなくジュエリーを作り続けることができたのは、現地と円滑にやりとりができるコネクションを築けていたからこそ。それもまたbororoの強みに直結しているのです。

 
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