【梨泰院事故】この事故を「自己責任」で片づける日本人は、民主主義を本当の意味で理解しているのか_img0
写真:Lee Jae-Won/アフロ

梨泰院の惨事から1週間が過ぎ、国家追悼期間が終わったということで、この事について書いてみようかなと思います。といっても書きたいのは、事故のことそれ自体ではなく、事故後のこと。こうした大きな事故がおこると、韓国では「誰に責任があったのか?」「なぜもっとほかの対応ができなかったのか?」という話が、被害者の遺族や関係者、マスコミから相当厳しい形で噴出します。今回もそういうニュースが次々と出始め、デモなども始まっているのですが、こうしたニュースにSNS上で「ほら出た」「また他人のせいかよ」「だから韓国は」と反応している日本人が多いことに、私はかなりびっくりしました。というわけで、今回はこういうパターンの事故は、本当に自己責任なのか? そして自己責任で片づけていいのか? という話をしてみたいと思います。

 

今回の事故は、セウォル号の事故と比較されることが多いようです。つまりセウォル号の事故の場合の責任追及の矛先は、当然ながら船を運航していた船会社から始まりました。(のちに救助の在り方のまずさも指摘されています)。でも今回の場合は、誰かによって催されたイベントではなく、被害者は「ハロウィンを楽しもうと自然発生的に梨泰院に集まってきた人たち」で、だから自己責任とみなさんおっしゃってるわけですね。言うたら「渋谷のハロウィンで事故が起こった」みたいなものです。

渋谷のハロウィンといえば、もはやそれ自体が名物となりつつある「DJポリス」をはじめ、警察官がすごくたくさん出ています。これは「混雑したところに自分から来たんだから、事故に巻き込まれたらお前らの自己責任。警備はあくまで警察のご厚意」ってことでししょうか……んなわけありまっかいな。

 
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