――菜々子が自らの手でDNA鑑定を行った結果は、父も母も自分の生物学的な親ではないかもしれないということ。さらには、民族ごとに異なるアリール(対立遺伝子)は、菜々子が日本人ではない可能性が高いということを示していました。菜々子が誕生した世田谷の産婦人科病院は、早くから生殖医療に取り組んでおり、不妊治療外来の成功率の高さが評判を呼び、不妊に悩む夫婦が多く訪れていました。かつて、菜々子の両親はここで不妊治療を受けており、その治療の過程で重大なミスが犯されていた可能性があることが発覚します。

「不妊治療を書けたのは今だから」作家・谷村志穂が語る理由。〜望みどおりでなくとも道はある〜_img0
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谷村:不妊治療のステップは多くて複雑なもの。人工授精、体外受精、顕微授精などどの段階まで進むか、いつまで続けるか、どこでやめるかを決めるのは本人次第です。不妊治療にはもしかしたら子どもを授かることができるかもしれないというチャンスはあるものの、必ずしも望む結果が手に入るわけではないので、ある意味とても残酷なものです。

 

――また、不妊治療も人間がやっていることである以上、どれだけチェックしていても、ミスが起こる可能性があります。不妊治療でなくても、かつて、日本でも病院での赤ん坊の取り違えは何度も起こっていました。

谷村:菜々子は出生時の重大な医療ミスの可能性という思いも寄らない事態に遭遇しますが、私たちだって、人生を必死に、まっすぐ歩いているつもりでも、思わぬ落とし穴に落ちることがあります。もしそうなった時に自分ならどうするか、ということを考えながら執筆しました。そして、書いているうちに、一本道だったと思い込んでいたけど、案外道は一つではないものだ、ということも実感しました。

――菜々子が本当の自分を探す過程で、支えになったのがジヒョンでした。母と距離のある菜々子と違い、ジヒョンは韓国で暮らす母や上の姉2人と頻繁に連絡を取り合うほどの仲良しぶり。家族や友達との距離感が、日本人のそれよりも明らかに近いために、日本では時折寂しさを感じることがあるものの、元来の放っておけない性分から、アイデンティティが足元から揺らいでいる菜々子にも関わっていきます。

谷村:私の大学生の娘を見ていると、友情はある距離感を保って育むもので、本人が了解するまでは深く立ち入らないようにしている印象を受けました。でも、何本かの韓国ドラマを熱心に見ていると、韓国の人たちのどこか懐かしいおせっかい感が心地いいなと思ったんですよね。

――谷村さんは、新型コロナウィルスが世界中に広がる直前、取材で韓国を訪れていました。その時、ジヒョンに近い年齢で、幼少期に日本で生まれ育ち、韓国に戻ったのちに再び日本で暮らしている女性が、取材に同行してくれました。

谷村:彼女は、自分が通っていた塾に案内してくれたり、実家のお母さんに会わせてくれたりと、とことん取材に付き合ってくれました。彼女のおかげでイメージが具現化して、この小説を一気に書き始めることができたのですが、彼女も日本で人との距離感の違いに悩んだことがあったそうです。日本と韓国は今もって近いのか遠いのかわからず、似ているようで全く異なる部分があり、対立している一面もあります。だからこそ、今回のテーマを象徴的に表現できると思い、日本と韓国のふたつの家族を描くことにしたんです。