「私は私の親を、あなたはあなたの親を」みる
ーー日本社会の慣習として、いわゆる「長男の嫁」が義理両親の介護を担う、介護の方向性を決める「キーパーソン」になるケースも多いと思うのですが、鳥居さんはどう考えますか。
鳥居 お嫁さんが義理の両親の介護に真っ先に首を突っ込むのは、最期まで看る覚悟がないならやらない方が絶対にいいです。そもそも民法では、介護義務は夫婦間、実子や孫などの直系血族にあると定めていますから、配偶者に介護義務はありません。義理両親に恩義だったりはあるかもしれないけれど、親切心からでも嫁が口を出すと話が拗れがちなのが現実。だから、実子である息子や娘が責任を持つのが道理なんです。心苦しいなら、配偶者はサポートをすればいい。極端な話、「私は私の親をがんばってみるから、あなたはあなたの親をがんばってみてね」。これが基本的な考え方だと思います。
ーー鳥居さんが本書で綴られているのもご自身のお母様の介護体験ですよね。孤軍奮闘されている印象を受けたのですが、失礼ながらごきょうだいのサポートなどはあったんでしょうか?
鳥居 実は、先に姉が介護のキーパーソンをしてくれていたんです。でも、姉は真面目な人なので途中で限界がきてしまって。口では「大丈夫、大丈夫」って言っているけれど、明らかに体調を崩していて。そこで、私がキーパーソンになった形でした。ちなみに兄もいるんですが、母の世代観としてはよくある「男尊女卑」の考えの持ち主だったので、兄は社会に出て立身出世するのが仕事だと。だから介護の“か”の字はもちろん、弱音ひとつ兄には吐かなかったですね。片や娘たちは「私を介護するのが当然の存在」というか、そんな自覚すらない次元でもはや自然の節理というか(笑)。今だからこそ笑えますけど。
長引く介護、「頼むから、今日死んでくれ」
――先ほどの「長男の嫁」と同じく「娘」と介護の関係性も色々と考えさせられますね。鳥居さんの介護生活はどのくらい続いたんでしょうか。
鳥居 実質的な介護は10年です。なかなかに長いですよね。それも、末期がんの父を看取ってやれやれと思っていたその葬儀当日、母の様子がどうもおかしいとなって。病院で調べたら「進行性核上性麻痺」っていう国指定の難病と認知症がわかった、という経緯でした。認知症の方は進行が緩やかだったんですけど、進行性核上性麻痺は筋萎縮で体が動かなくなっていくので、この介助が本当に大変で。食事の支度と介助のために1時間半かけて母の家に通っていたけれど、この別居介護を続けたら母より先に姉か私が死んでしまうと本気で思いましたよね。
――そこで前著(『増補改訂版 親の介護は知らなきゃバカ見ることだらけ』双葉社)にも詳しく書かれていますが、老人ホームへの入居を選ばれたんですね。
鳥居 母がまだ生きていてホームにいる時にね、プレジデント誌上に「頼むから、今日死んでくれ」っていうタイトルで寄稿したら大反響を呼んだことがあって。「死んでくれ」って強烈な言葉に、「頼む」という切実さが混ざってくるんです。長く介護を続けていたら、そんなふうにいろんな感情が出てきて、冷静な思考ができなくなってくるんですね。母にも病院にも施設にも社会にも「なんでこうなの!?」って自分以外が敵に見えて、理性を保てなくなってくる。私の場合はそんな介護でしたね。でも同時に、作家としてはこの「惑乱の時間」を後世に伝えなければとも思っていて、それが唯一のモチベーションになっていたかもしれません。
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