以前の時代はネットが存在していませんから、主要メディアが報道しなければ、その出来事は存在していなかったことになっていました。ネットの普及でこうした動きが可視化されたことに加え、保育園や公園などの騒音などが、以前と比較して大きくなった可能性も考えられます。
昔はあちこちに空き地がありましたから、子供は近所のどこかで遊び場を見つけることができました。しかし今の時代には、そうした場所はほとんどありませんから、公園など整備された公共施設に人が集中することになります。しかも、場合によっては遠くからやってくるケースがあり、親がクルマで迎えに来るため、周囲がごった返していることは十分に考えられるでしょう。
この公園がそうなのかは分かりませんが、夜中に子供が大騒ぎをして周囲が迷惑しているところもあるようですし、いわゆる道路族の存在が各地で問題になっていることからも分かるように、条件が揃えば騒音問題が発生する可能性はどこにでもあります。
筆者が子供の頃は、公園に親がクルマで迎えに来るなど、到底考えられない時代でしたし、子供が夜遅くまで騒いでいたり、それを放置する親がいるのもあり得ないことでした。しかし、ライフスタイルが多様化すると、世帯のあり方も様々になりますから、思わぬところで問題が発生する可能性について考えておくべきでしょう。
普通に考えれば、子供というのは騒ぐものであり、筆者も含めて誰もがそうした時代を経て大人になりますから、子供の声がうるさいというのは、非常識な意見に思えます。しかしながら、価値観の多様化が進んでいる現状を考えると、「我慢できない」という意見についても一方的に全否定すべきではないと思います。
最低限、言えることは、行政に対して意見を言う権利は全国民が持っているという民主国家の大原則です。
意見を言うのは自由ですが、最終的にその意見が通るのかは、全体の状況を見て判断されるということですから、意見を言うことそのものが否定されることがあってはなりません。意見を言うことそのものを批判・否定してしまえば、それはロシアや北朝鮮と何も変わらない国になってしまいます。
加えて言うと、「地域のことは地域で決める」のが地方自治の大原則です。その地域のことを一番良く知っているのは地域住民ですし、そこから直接的な影響を受けるのも地域住民です。事情も知らず、住んでもいない人が、特定の住民をバッシングするということはあってはならないでしょう。
前回記事「これだけ物価が上がっても...手当は出しても「賃上げ」に踏み切れない、日本企業の微妙な温度感 」はこちら>>
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