藤田ニコル「今まで本気じゃなかったんだ」首相発言へのコメントから考える、政治家の“言葉の重み” _img0
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藤田ニコルさんの、首相発言に対する冴えたコメントが注目を集めています。政治家の発言に限らず、最近は言葉の価値が軽くなっているとも言われます。価値を維持するためには、相応の努力が必要であり、言葉もその例外ではないでしょう。

 

岸田首相は年初の会見で、目玉政策の少子化対策について「異次元の少子化対策に挑戦し、ようやく政府が本気になったと思っていただける構造を実現」したいと表明。この発言に対して藤田ニコルさんが「今まで本気じゃなかったんだと絶望しちゃった。言葉選びがちょっと嫌いでした」とコメントしました。

岸田氏がこうした発言を行ったのは、政府の本気度を伝えたかったからでしょうし、もしかすると、過去の政権は子育て支援に対して十分ではなかったというニュアンスが含まれているのかもしれません。ただ、首相が交代したとはいえ、以前から自民党政権が続いており、岸田政権もその延長線上にあるという現実を考えると、藤田さんが指摘するように、一部の国民にとってはひっかかりのある表現だったかもしれません。

このところ、政治家の言葉が軽くなっていると感じている人は多いと思います。

政策について国民に説明する際、「国民の命と財産を守り抜く」といった情緒的な表現は、ここ10年の間にかなり多用されるようになりました。「守る」と「守り抜く」では、「守り抜く」の方が主体性や強い意志を感じる表現ですが、そもそも国家というのは、国民が主体的に自身の命を守るために作り上げた組織ですから、政府が国民の生命や財産を守るのは当然の行為です。それに対して特別な意味を持たせる表現をされてしまうと、一部の人は「今までは何だったのだろう」と感じることでしょう。

同じく「緊張感を持って取り組む」という発言もよく耳にするようになりましたが、これも似たような表現といってよいでしょう。言いたいことは何となく分かりますが、安全保障や災害対応などがテーマの場合、常に緊張感を持って取り組むのは当たり前のことですから、やはり不自然な感覚は否めません。

表現についてイチイチ文句を付けるべきではないとの意見もあるようですが、不用意な言葉というのは繰り返されるたびに、どんどんありがたみなくなってしまうのが現実です。政治家は言葉が命の商売であり、本当に危機的な状況になった時にはリーダーの言葉が国家の行く末を左右します。やはり言葉の価値が低下するような行為は避けるべきでしょう。

発言そのものに加えて、発言した後の対応も、価値の低下に拍車をかけているかもしれません。

 
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