こんにちは。
今日は、父が1人暮らししていた山形のアパートの部屋を、引き払ったときの話を書きたいと思います。
身体が弱り、1人暮らしや働くのは厳しくなったため、山形から東京に連れられてきて、リハビリ病院に入院していた父。
入院してからしばらくは、父は長年勤めた職場がある山形に戻ると、頑なでした。でも、姉家族との同居に向けて周りが準備を始めているうちに、流れにのっちゃえ性格が功を奏し、山形には帰らないと決心してくれました。よかった。
なら、父の部屋を片づけ、引き払おう。
もともと、福島に、私が小さい頃に建てた家があります。だから、父が職場の近くの山形の賃貸アパートに、みっちり完全に住んでいたのは15年くらい。母が病気になり東京に来てからでした。
決してきれい好きなタイプではない父が15年、1人で住んだ部屋。どうなっているのだろうか……。
父は私に全部まかせると言いました。山形のその町に疎い私は、父の職場のEさんに手伝ってもらい、片付けをすることに。
ある週末、早朝に山形へ出発です。
モノがあふれかえる父の部屋
アパートの父の部屋。ゴミ屋敷ではなかったけれど、たくさんのモノであふれていました。

8畳と6畳の1LDK。築何十年かのアパートの1階。玄関をはいると、直接8畳の部屋。
玄関からみて、まっすぐ突き当たりには、外に出られる大きい窓。左の壁には、中が整頓されていない大きな扉つき本棚。窓に向かって置かれた大きめの座卓。その上は、様々な書類や薬、日用品などが雑多に散乱。
座卓の手前には、身体をのばして座れる1人用のリクライニングチェア。本棚を背にしたチェアから座ってみえる位置に、テレビ台。
なんだか、父がここで生活していたまんまの空気。主人だけがいない。ここで、父は、1人で誤嚥性肺炎を繰り返し、だんだん小さく細くなり過ごしていたのかと、胸がつまる。
そして、テレビ台の裏には、ベッドのある6畳の部屋がつづく。窓側を頭にして置かれたベッドは、病院のおさがりのリクライニングできるタイプ。父が楽な体勢であろう角度で止まっていて、布団も起きがけにめくったまま。
きっと出発したときは、こんなに長い間留守にして、もう帰ってこないとは思ってはいなかったのだろうな。そうか。そうだよな……。
そんな感慨にひたる私を打ちのめしたのは、ベッド横にあるハンガーラックと、押し入れの中にぎゅうぎゅうにあった、服、服、服!
ぐへー。これ全部かたづけるのかいな。
東京に来たときに買っていたちょっと高級なジャケット。昔から着ている見覚えのあるシャツやズボン。私と姉が誕生日にプレゼントした赤いセーター。よく着ている人を見かけるユニクロの半袖ポロシャツ。
ハンガーラックには、1つをとるのに隣の服が邪魔で力が必要なくらい隙間なく。押し入れは奥の奥の方までびっしり。
さらに、奥の洋服は湿気でやられてカビまみれ......。
カビ。ぐへー。
とにかく多かったのがユニクロのヒートテックの下着。長袖、半袖、ももひきにパンツ、靴下。極暖、薄め。とにかくそれらがたたまれ重なり、雪崩が起きている。タグがとられていないものも。なんでこんなに.......。
洋服を買うのが好きだけどネット通販はできない父が、この町で買えるのがユニクロだったから頻繁に行っていたのか。それなら、ありがとうユニクロ。父に楽しみを。
知らない父の生活の様子が、部屋を片付けているうちにどんどん浮きぼりになっていきました。

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