パーティーが終わってもお祭り騒ぎは終わらない。まだ砂漠だったハリウッドの野外撮影地ではパーティーのごとくてんやわんやで映画の撮影が行われ、ネリーもマニーも映画業界に自分の居場所を作る。世の中は映画に、スターに熱狂し、すべてがおもしろおかしく上手く転がっていくように思われるのだが、時代の波がやってくる。映画にも「音」や「声」が求められるようになる。大スターのはずだったジャックの戸惑いやもがきに、ついデジタルに移行しきれない自分や自分の同世代の人々のあせりを重ねてしまった。せっかくスターに登りつめたネリーもまた、録音という新しい役割についていけない。それだけではなく、ビッチなキャラクターの変更を強いられる。
時代の波というやつはいつだって残酷だ。今まで時代に忠実でいた人たちをあざ笑うかのように切り捨てる。しっかり皺が刻まれ、フェイスラインがゆるやかになったブラッド・ピットの戸惑う表情は、パーティーの場面のはなやかさとの落差でより際立っている。こうしたお祭り騒ぎの余韻こそ、ダサいいい方だけれど「人生」なのだと思う。若かりし頃のかっこいいブラピもいいけれど、くたびれたブラピはもっといい。
ネリーもマニーもジャックも一時あるいは長い間、きらきらした光の中にいたかもしれないが、だどりついた結末は必ずしも一般的にいう幸福とは違う。でも、彼らや彼女はとても幸せだったと私は思うのだ。好きなように濃く生きられた時間があるのだから。特別な興奮は他のすべて手放しても味わう価値があるのではないだろうか。
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