ヘイトスラングを口にする父、テレビの報道番組に毒づき続ける父、右傾したYouTubeチャンネルを垂れ流す父……老いて「ネット右翼」になった父に心を閉ざした、文筆家の鈴木大介さん。対話の回復を拒んだまま、末期がんの父を看取ってしまった鈴木さんは、苦悩し、煩悶します。

父の死後、自身の「ネット右翼」に対する認識を検証し、母、姉、叔父(父の弟)、姪、父の友人の証言を集めていくうちに、徐々に父の実像がリアリティを伴って見えてきた結果、父は鈴木さんの思うような「醜いネット右翼」ではなかったこと、「父をネット右翼と決めつけていた」ことが判明します。

父はいつから、なぜ、ネット右翼になってしまったのか? 父は本当にネット右翼だったのか? そもそもネトウヨの定義とは何か? 保守とは何か? 父と家族の間にできた分断は不可避だったのか? 解消は不可能なのか? 父の看取りから検証を終えるまでを記録した鈴木さんの著書『ネット右翼になった父』(講談社現代新書)は同様の悩みを抱える多くの読者から共感の声が多数寄せられ、発売3週間で重版がかかりました。

検証作業の最後は、父の女性蔑視発見、ジェンダーや性的マイノリティについての無配慮な発言や、昨今の保守界隈では9条と並ぶ改憲テーマ(24条)になっている「伝統的家族観」について。その過程を『ネット右翼になった父』より一部抜粋し掲載します。大学時代に知り合い結婚した母とは共働き、世代の割にはフェミニストだった父は晩年になってなぜ「女だてらに」「所詮女の脳は」「女の分際で」「女三人寄れば姦しい」といった言葉を日々口にし、テレビの女性議員に毒づき続けたのでしょうか?

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鈴木大介 さん
文筆業。1973年千葉県生まれ。主な著書に、若い女性や子どもの貧困問題をテーマとしたルポルタージュ『最貧困女子』(幻冬舎新書)、『ギャングース・ファイル――家のない少年たち』(講談社文庫、漫画化・映画化)や、自身の抱える障害をテーマにした『脳が壊れた』(新潮新書)、互いに障害を抱える夫婦間のパートナーシップを描いた『されど愛しきお妻様』(講談社、漫画化)などがある。2020年、『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院)で、日本医学ジャーナリスト協会賞大賞を受賞。
Twitter:@Dyskens

 

価値観のブラッシュアップができない


料理好きで台所を自らのテリトリーとし、会社では女性総合職の登用を積極的に行っていた父。「女が四年制大学なんか通ってたら行き遅れる」の言説が堂々とまかり通っていた時代に、大学で知り合った母と結婚した父。その後も自宅で英語の個人教室を開いて、毎日地域の中高生の指導に当たっていた母に文句一つ言ったことがない父。

姉と僕を育てながら、月曜から土曜まで夕方以降はみっちり授業を組んで教室を開いていた母だったから、我が家は夕方になれば生徒たちのために玄関のカギを開け放ち、仕事から帰宅した父は、母の教室が終わるまで待つのが日常だった。

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写真: Shutterstock

「そういうことには何一つ文句を言われたことなかったねえ。教室が終わって居間に戻ってきたときに、私の顔をまじまじ見て、『その仕事が合ってるんだねえ』って言ってくれたこともあったよ」と母。

そんな、生まれ育った時代を考えればかなりフェミニストな男性だったように見える父が、どうして晩節は「女だてらに」「所詮女の脳は」「女の分際で」「女三人寄れば姦しい」といった言葉を日々口にし、テレビの女性議員に毒づき続けたのか?

母によれば、父は観光地の土産物屋で、いわゆる「おねえ言葉」を使う性的マイノリティ当事者がいただけですぐに店を飛び出して、「僕はああいう人たち、苦手なんだよな」と生理的嫌悪を露わにしたこともあったという。

父に見られた女性蔑視や性的マイノリティに対する無配慮は、改めて振り返ってもやはり非常にネット右翼的というか、保守的カラーを濃厚に感じる。

このポイントについては、最後までずいぶんと混乱した。

まず必要だったのは、こうした女性蔑視のエピソードから、前段の「シングルマザーへのバッシング」を切り分けることだった。父のシングルマザー自己責任論は、前述したように明らかに保守的コンテンツから借りてきたような言説が多く、その理由は同じく前段の解釈=「父は仮想敵を撃っていた」で理解できる。

けれど、その他の女性蔑視的な言説については、どうにも腑に落ちるポイントがないのだ。

奇しくも安倍晋三氏の死去によって、自民党議員の組織的支持層だった宗教団体が、伝統的家族観への回帰を推進し、女性の自由な人権やジェンダーの多様性に対する大きな抵抗勢力であることが一気に語られるようになった。こうした保守政党と宗教右派の親和性の高さは日本に限らず、米国の共和党を同じく伝統的家族観を掲げるエヴァンジェリカル(キリスト教福音派)が支持し、中絶禁止法のゴリ押しなど明らかに女性の人権と生命を脅かす勢力として存在感を増してきたのと同じ文脈だ。

ということで、一度はもともとフェミニストだった父が保守雑誌などで取り上げられることの多いこうした伝統的家族観への回帰論等に毒されて変節したのではないかとも思い、『右派はなぜ家族に介入したがるのか——憲法24条と9条』(中見里博他著、大月書店)を用いて、その根拠となる憲法24条改正の議論でどんな主張と問題点があるのかを掘り下げもした。が、核心に至るものはなかった。

確かに生前の父には体罰の部分的容認とか倫理・道徳教育といった点で「借りてきたような発言」はあったし、姉からは、父の生前、「ニッポン礼賛読本」としてネット右翼層からも大変支持の高かった『国家の品格』(藤原正彦著、新潮新書)を父の書斎で目にしたと聞いた。父が日本の伝統を美徳とするコンテンツに触れていたことは間違いないだろう。

けれど一方で、父の女性蔑視的、ジェンダー的に無配慮な発言からは、嫌韓嫌中や社会的弱者への自己責任論で感じたような「どこかのコンテンツから借りてきたようなコピペ感」を感じることはなかった。どう記憶を掘り起こしても、父から「伝統的・封建的家制度への回帰」といった保守ど真ん中の論題を感じさせる発言を聞いた覚えがない。だいたい父は、僕と妻が結婚の時点で子どもを作らない選択をした、すなわち「嫡子がいない」ということについてすら、ただのひとことも口にしたことはないし、態度を見せたこともない。

ではなぜ?

理解ができず悶々と自問自答を繰り返したこのテーマだが、父が亡くなった後に、目の前でその答えを見せてくれる出来事があった。