宝島社が毎年発表している「このマンガがすごい!」の2023年度版の「オンナ編」1位を獲得したのが、マンガサイト「Souffle(スーフル)」で連載中の『天幕のジャードゥーガル』(秋田書店)。13世紀初頭のイランに暮らす奴隷の少女が主人公の物語で、「このマンガがすごい!」で歴史モノの作品が1位を獲得するのははじめてのこと。イランやモンゴル帝国を舞台にした歴史モノという、日本人にはあまり馴染みがないものではありますが、本作を読んだ人たちが続々とその魅力にハマっています。どんな物語なのでしょうか?

戦争に日常を奪われても学び続ける。13世紀の奴隷少女に私たちが惹かれる理由『天幕のジャードゥーガル』【このマンガがすごい!オンナ編1位】_img0
『天幕のジャードゥーガル』(1) (ボニータコミックス)


奴隷の少女シタラが勉強をしたくない理由。


物語のはじまりは、13世紀のイラン東部にあるトゥースという都市。学者一家の妻・ファーティマが奴隷を探していました。奴隷商人に勧められたのは、愛らしい顔をしたシタラという名の少女。商人は容姿に恵まれた彼女に教養を身に付けさせることができれば、高貴な人の側仕えにできるのではないかと考え、もしファーティマが彼女を預かって教養を与えてくれるのであれば、奴隷の費用を半額にすると持ちかけます。

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もし奴隷が知を求めたとしても、知を求めること自体はイスラム教徒の勤めであるという考え方があったため、ファーティマはシタラに教育の機会を与えようとします。しかし、シタラの本当の望みは、かつて亡き母と暮らしていた家に帰ること。ファーティマの家から逃げ出そうとしますが、一人息子で、地元でも有名な秀才であるムハンマドに見つかってしまい、失敗に終わります。シタラは自分が勉強して教養を身に付けたら、奴隷としての価値が高まってしまい、また知らないところに売られてしまうことがわかっていたため、「勉強イヤ!」と拒絶していたのです。

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そのことを聞いたムハンマドは、シタラを建物の屋上に連れていき、そこから大きな盤を落とすところを見せます。シタラはムハンマドに「今からこの盤を庭に落とすね」と言われていたので、耳を塞いで備え、大きな落下音に慌てふためくことはありませんでした。一方、盤が落ちてくることを知らなかった人々は「何?さっきの恐ろしい音!」「敵が攻めてきたんじゃないか!?」と慌てふためいていました。

 

盤が地面に落ちると大きな音がするとわかっていたシタラが冷静でいられたのは、「『大きな音がする』という未来を予測して 適切にそれに対処した」からと、ムハンマドに指摘されます。そしてそれは、勉強も同じことで、「勉強して賢くなれば どんなに困ったことが起きたって 何をすれば一番いいかわかるんだ」とも。

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突然不条理に奪われる、ささやかで平和な日常。


そこからシタラは勉強に取り組むようになります。やがて、ムハンマドはより多くの知見を得るため、家を出て離れた都市で学ぶことを選びます。ムハンマドが旅立ってから8年が過ぎた頃には、シタラは十分な教養を身に付け、文字も読めるようになっていました。ファーティマは、シタラに亡き学者の夫が所蔵していた貴重な写本を見せ、彼女の学びを支えていました。

ささやかで平和な毎日が続いていましたが、モンゴル帝国の第四皇子・トルイ率いるモンゴル軍のトゥース侵略によって一変することに。トルイは正妃のソルコクタニ・ベキが所望した、古代アレクサンドルの数学者・エウクレイデスが記した「原論」を探しており、学者家系の家であるファーティマの手元から、有無を言わさず持ち帰ろうとします。ファーティマが大切にしてきた亡き夫の蔵書を取られまいとシタラは「返してください!」と抵抗しますが、切り捨てられそうになります。そして、シタラをかばったファーティマが命を落とすことに。恩人である大切な人を、自分の行動によって死に至らしめてしまい、呆然とするシタラ。さらには、自らは捕虜として遠いモンゴル帝国まで徒歩で連行されることになるのです。
 

不穏な世界情勢の今だからこそ、読みたい物語。


シタラには実在のモデルがいます。ファーティマ・ハトゥンという女性で、モンゴル帝国の皇后ドレゲネの側近として活躍したものの、失脚。のちに“魔女”と呼ばれ、処刑された人物です。

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本作のシタラは、一度は絶望から生きる気力を失いますが、とある出来事がきっかけで、ファーティマが惜しみなく与えてくれた知識や教養を武器とし、自ら“ファーティマ”と名乗って生き抜くことを決意します。

レトロでかわいらしくて、細部の文様まで丁寧に描き込まれた絵柄が印象的な本作ですが、シタラに襲いかかる歴史のうねりは容赦なく、時には残酷な出来事もあります。すべてを奪われ、モンゴル帝国に連行されたにも関わらず、シタラはまず敵を知ることが第一歩と、自分の感情は二の次で淡々と自分の唯一の武器である“知”に磨きをかけ、立ち回っていく過程が描かれていきます。

モンゴル帝国がいかにして勢力を拡大していったか、初代皇帝チンギス・カン亡き後の勢力争いはどうなる? といった史実の流れも気になるところですが、やはり一番惹きつけられるのは、過酷な運命を切り開いていこうとするシタラの生き様。

本作が描く13世紀から700年以上も経った現代でも、「女性が学び、知識をつけることの是非」について未だに議論が繰り返されています。また、シタラが突然、モンゴル帝国のイラン侵攻によって平和な暮らしを失ったように、今はロシアのウクライナ侵攻が続いており、世界情勢の不穏さが色濃く感じられる時代でもあります。本作は史実や当時の文化、生活様式、教養などをベースにした歴史創作ではありますが、先行きの不透明な今だからこそ、読むべき価値があるはず。それでいて、物語としての面白さが際立っているので、「この先はどうなるの?」と続きを知りたくなります。2月16日に2巻が出たばかり。シタラの運命を最後まで見届けたい。

 

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『天幕のジャードゥーガル』
トマトスープ 秋田書店

後宮では、賢さこそが美しさ。13世紀、地上最強の大帝国「モンゴル帝国」の捕虜となり、後宮に仕えることになった女・ファーティマは、当時世界最高レベルの医療技術や科学知識を誇るイランの出身。その知識と知恵を持ち、自分の才能を発揮できる世界を求めていたファーティマは、現皇帝・オゴタイの第6婦人でモンゴル帝国に複雑な思いを抱く女・ドレゲネと出会う――。歴史マンガの麒麟児・トマトスープが紡ぐ、大帝国を揺るがす女ふたりのモンゴル後宮譚!


著者プロフィール
トマトスープ

Webメディア・マトグロッソで「ダンピアのおいしい冒険」を連載中。単行本「ダンピアのおいしい冒険」(イースト・プレス)も発売中。他、趣味で主に中世〜近世の世界史をテーマとした歴史漫画を制作。
twitter:@Tsoup2

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