それでもふたりはお互いに対する想いを取り戻し、激しく求め合うようになります。レズビアンの性愛をたんに性的に消費させず、彼女たちの葛藤や抑圧からの解放が表現されたリアルなセックス・シーンもとても丁寧に撮られています。そして、そんな保守的なコミュニティ=社会で彼女たちがどのような決断をするのか。本作の主題はそこにあります。
しかし同時に、本作はラビの後継者として責任のある立場となったドヴィッドの決断についても描いています。従順だった妻が本当は別の女性を愛していることをあらためて思い知った彼は傷つきますし、また、コミュニティでロニートとエスティの仲が噂されるようになると彼の立場も危ういものとなっていきます。映画を観ている側にとっては、彼が逆上し、彼女たちを縛りつける立場になる可能性も頭をよぎります。
しかし、ドヴィッドは思い悩んだ末、ロニートとエスティが自分の人生を自分で決めるために、彼自身に何ができるかを考えるようになるのです。実際にドヴィッドがどのような行動を起こすのかはぜひ映画を観ていただきたいのですが、ここが本作のもっとも感動的なシーンだとわたしは思います。ロニートは喪った父親からの愛情を別の形で取り戻すことになりますし、エスティは夫との絆を感じるとともに自分が選択することのできる主体であることを知ります。そしてドヴィッドもまた、抑圧を受けた人びとに寄り添うことで宗教人として、いや、ひとりの人間として救われることになるのです。
ドヴィッドはある意味で保守的な価値観の社会に反抗することになるのですが、それは彼がロニートとエスティの想いにまっすぐに向き合った結果です。彼にとってふたりは「コミュニティから追放された女」「コミュニティにとって都合のいい女」ではなく、何よりも幼いときからいっしょに育ってきた親友だったからです。ふたりが少しでも自由な選択ができるように、彼もまた男性中心の旧弊な社会に一石を投じることになります。
本作の原題は「Disobedience」で、宗教的な規律における「不服従」や「反抗」を示す意味があるそうです。ロニートとエスティ、そしてドヴィッドは女性を抑圧する規範にそれぞれができる形で「不服従」を示しますが、そこには何か、とても人間的な心の動きがあることをこの映画は差し出しています。そして本作を観るわたしたちもまた、窮屈な社会を変えていくのは、あらゆるジェンダーの人びとによる真摯な行動なのではないかと感じられるのです。
<作品紹介>
『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』
厳格な超正統派ユダヤ・コミュニティで生まれ育ったロニートとエスティ。惹かれあっていた二人を、コミュニティの掟は赦さなかった。信仰のもとに引き裂かれた二人は、ロニートの父の死をきっかけに数年ぶりに再会する。封印していた熱い想いが溢れ、信仰と愛の間で葛藤する二人が選んだ道とは……。
構成/山崎 恵
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