相手を思っての発言や行動も、裏を返せば自分がそういう相手を見たいから


この映画の題名『エゴイスト』は、受け手によって様々な解釈が出来そうなタイトルです。ポスターに「愛は身勝手」というキャッチコピーがついているので、おふたりに究極の質問を投げてみました。

――この映画に出演されて、感情を揺さぶられることが多々あったと思いますが、今振り返って、おふたりにとって、愛とは何でしょう。「愛は○○」と名付けるとしたら、何と名付けますか?

鈴木:僕は浩輔役だったので、結局最後まで「愛は自分のエゴ」だと思って演じていました。浩輔としての僕は、ずっとそう思っていましたね。

鈴木亮平と宮沢氷魚が考える愛の答え「お互いNGラインをわかっているからこそ愛を交わせる」【映画『エゴイスト』】_img2

©️ 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会

――例えばマザーテレサは「愛は与えるもの」と言っています。浩輔はずっと与え続けてきたと思いますが、それはやはり“エゴ”なのでしょうか?

鈴木:「与えたい」という意味ではエゴだと思います。与える……というのは、“行動”じゃないですか。それはおそらく、相手に幸せになって欲しいという“欲求”なんですよね。そういう意味でエゴだと思いますが……。ただ、自分の中でエゴ=悪い意味、というのが薄れたのは確かです。

 

――宮沢さんはいかがでしょう。”愛はエゴで身勝手なもの”だというふうに思われましたか?

宮沢:思いましたね。僕はこの原作を読み、この作品に携わる前までは愛がエゴだとは思っていなかったんです。誰かに何かを与える、誰かのためを思って愛情表現をするということは相手の人のためだと思ってずっと何かを与えてきたつもりでしたが、でも裏を返せば自分が相手にそういうふうに思って欲しいとか何かを受け取って欲しいという、実は“自分のため”だったんだなと。この作品を経て感じるようになりました。

本当に小さいことから全部考えが変わりました。たとえば家族でもいいし、友達でもいいし、恋人でもいいんですけど、「ここを直して欲しい」とか「こういうことをしたらもっと上手く行くと思うよ」という相手のことを思っての発言や行動も、裏を返せば自分がそういう相手を見たいからそういうお願いをしているんですよね。

今までだったら何も考えずに伝えていたのを、この作品に関わったことで、「これを伝えることが本当に相手のためになるのか」と考えるプロセスを経るべきだと思うようになったというか……。自分ではまだ出来ていないかもしれませんが、ひとつの考えとしてそういう思いが生まれました。